園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

また沸々と熱が

ちょっと長めに休んで、色々と学んで、落ち着いて。
急激に動いていたものが止まると動き出すまでに力が必要となります。
まだ足りないですが、徐々に熱が蠢いてきたのを感じます。
怒りにも似た燃え滾る熱が心の奥底に少しだけ点火しました。


私は自分の作品が作れないと欲求不満のような状態になります。
この一ヶ月、ぷる汁も触れていないですし、十二英雄伝も少し開始した程度。
心の中でそうした熱が動いているのがわかります。
これがエネルギー、私の動力源となるのです。


ただし、これをそのまま使うと破壊のエネルギーになってしまいます。
しっかりと目標を立てて道筋を立て、心を制御して安定させる。
怒りや苛立ちではなく確固たる不屈の闘志に変えていくのです。
これは強い忍耐力になります。逆境や不満というものは力になるのです。
抑えつけられることによって反発力が生まれ、一気に上昇します。


まだ足りない。まだまだ足りない。
でも、確実に再び炎が点火されてきました。
もっと自分の作品を見せてあげたい。届けてあげたい。
そうした想いが私の中での強い力になっていきます。
やっぱり一ヶ月もたないですね。
この情熱と熱い想いを止めることはできません。


さて、この休みの間に私は心のクリーニングを覚えました。
今まではクリーニングというよりは方向を変えて力に転化する方法を使っていました。
たとえば今書いたように欲求不満に目標を与えることで忍耐力に変えたり
マイナスのものをプラスにする手法を好んできました。
起こったことをすべて良い方向に使ってしまう、というやり方ですね。
これはこれで素晴らしい力です。
それとは別に、一度自分をクリーニングしてまっさらにする方法があります。


思えば、私が何かをやろうとする際、色々とまとわりついてくるものがあるわけです。
人類の進化のために~、負債を返済のために~、自分のために~、みんなのために~
等々、色々なものがありますね。二番目は哀しいですけど。
こうしたものがあるとやる気が削がれるのはたしかです。
忙しいと作品に集中せざるをえないですが、心のどこかでは覚えていますし、
「ああ、そういえばこれは強制だったんだよな・・・」とか考えてしまいます。
プラスに変えて「自分のためにもやろう!」と思うのですが、
そのあたりでごちゃごちゃすると混線することはたしかにありました。


で、まだやり始めたばかりですがクリーニングすると雑念は消えます。
私は雑念を消すのが苦手なんですね。
まあ、みんな苦手だと思いますけど、もともと情熱的なので難しい面はあります。
瞑想も五年になりますが、雑念を消すのはいまだに苦手です。

仕方ないのでホワイト・イーグルが言うようなイメージを使う方法をやっていますが、それもまた中途半端です。


それで試しにクリーニングをやってみたら非常に使い勝手がいい。
こうした余計な事情や理由付けを排除することで仕事に集中できるようになるはずです。
淡々と計画を遂行するには非常に有用な技術だと感じましたね。

私たちは過去の記憶に縛られています。縛られすぎです。

誰かに何々言われた、あのときはこうだった、今思っても苛立つ、等々

歴史問題でもそうですが過去に縛られすぎています。

しかし、生きているのは今であり、この瞬間です。

過去のために今を犠牲にするのは馬鹿げています。

ですのでクリーニングはとても重要だと思いました。

瞑想で雑念をすぐに消せる人はいいんですが、私のような人間には合いそうですね。


私はやっぱり自分の作品をやりたいという想いが強いです。
もちろん中身だけでもいいんですが、何にせよ自由を愛してやまない男ですから、
とことんその方向でやってやろうと思っています。
ではでは、まだ復活とはいきませんが、少しずつがんばりたいと思います。




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使い分け

こんなにだらけるのも久々です。

うん、たしかにずっと忙しい日々でしたし、GWも正月休みもなかった年もありましたので、こうして休むのは悪いことじゃないですね。

ただ、思えば私もけっこうのんびり屋といいますか、30歳で死ぬつもりで生き急いで生きてきて、自分の好きなことはだいだいできました。

私の中で賊王街を作れたことはとても大きくて、たとえそれが他人にわからないものでも、あくまで私自身のためには必要なことでした。

精一杯生きた証といいますか、その証明ができたとは思います。

一応ハーレム殿下を販売したので、それが一つの契機でしたかね。

最低限出せたことに満足はしています。


十二英雄伝も連載再開してとても楽しいです。

やっぱり私の生きる道は自分の作品なんだと思います。

しかもこうした燃焼系は私の生き甲斐のようなものです。

今まではこれを強引に仕事にしようとしてきました。

そこに間違いがありました。

いや、それはそれでいいんですが場所が違った。ここが重要です。

私がやりたいことって今まで私が生計を立てていた場所では異端なんですね。そもそもそういう場所ではないのにやろうとしていた。そこにズレがあったんです。

どんな美しい花でも蒔く場所が悪ければ芽は出ないものなんです。


もちろん、私がこれから正しい場所に蒔けば良い芽が出て

こうした燃焼系でも生計を立てていけるかもしれません。

が、燃焼系は趣味でもいいかなとは思っています。


僕が一番楽しい。


どんな口実を作っても、これに変わりはありません。

そういうものはあまり商売にすべきではないとも思います。

なぜならば、やはり自分の殻に閉じこもってしまって他を見なくなって硬直化現象が起こりやすいからです。これは経験しているのでよくわかりますね。


一方、みなさんに楽しんでもらおうとするものは商売にしていいんです。

ご意見を頂戴したらすぐに反映できますし(大衆迎合主義ですが)

私が楽しむわけではないので割り切ることができます。

誤解がないように言えば私も楽しいですよ。

ぷる汁だってなんだってオリジナルは全部楽しいです。

あっ、ぷる汁はオリジナルではなかったですが・・・

とりあえず自分の自由度が高いものは何でも楽しく感じます。

仮に二次創作だって、それはそれで技量を試す場なので楽しいです。

ただ、当然燃焼系とは性質が違うので、また違う奉仕する喜びなんです。


燃焼系は自分が好きだからやっていますし、可能ならば私が楽しい!と思っている波動を感じて共有できたらいいね!ってことです。

商売でやるものは、みんなが楽しんでもらえればいいです。

極論でいえば私が楽しくなくてもいいんです。目的が違いますからね。

今はそうした住み分けができているのでとても楽です。

その分、自分の作品がもっと楽しくなった気はします。

それ以外に絵本とかやらないといけないものはありますが、

こちらはその中間くらいでしょうか。


うん、正直体調面であまり自信がないので、私個人がイラストレーターをいつまでやれるかわかりません。もしかしたらあまり長くはないかもしれません。

が、むしろ私が本当にイラストと向き合うのは仕事としてのイラストレーターを辞めた時のような気がしています。

その時、私は自分の個性を本当の意味で表現できるかもしれません。

まあ、あまり絵自体には興味があるわけでなく、その中身が一番好きですので、自分の作品をまた突き詰める時も来るでしょう。

今後私自身についてはどうなっていくのかはわかりませんね。

本音で言えば、仕事に関してはまとめる側、使う側としてやれればそれが一番です。

私自身のものは趣味でやる個人や同人でやっていけるのが一番いいです。

自由が大好きですからね。

とはいえ、何をやるにしてもまだ自分が動く必要があるので、まだしばらく先の話ですが。


今はよい休暇になっています。

知識と体験が噛み合ってきて、心の制御もまた一段上昇した感じです。

問題はこれを持続させることなんですね。これが一番難しい。

とりあえず誕生日まではじっくり静養する予定です。

色々とご迷惑をおかけして申し訳ありません・゚・(ノД`;)・゚・

哀れみ

ここ一週間でまた成長できた気がします。

私自身もこうして静養するまでは忙しい日々が続いておりまして、ついつい神経が高ぶって愛から離れていました。

愛は最高の力ですが、肉体が疲れていたり心が乱れていると力を失ってしまいます。

こうしてまた再び愛を感じられた、今まで以上に愛に対しての感覚が増したのは嬉しい限りです。


そうなったのも、私の中でまた一つ未熟な要素がなくなったからです。

私自身は気がついていなかったところで大きなマイナス要素がありました。

ふと何かのきっかけで、もしそのままだったらどうなるかの未来のビジョンが見えたのです。

それがあまりに悲惨すぎて、哀しくて、絶対に耐えられるものではないと知りました。

そう思った時、何があっても愛さねばならないと強く思いました。


敵を愛するのは難しいことです。

それが単純な敵ならばまだわかりやすいですが、家族の無理解などもみなさんを苦しめる大きな要素だと思います。

そうしたものも愛せるかどうか。

私は今まで確かに調和を維持していましたが、それはテクニックで維持していただけです。

カーネギーや心理学などの知識で「こうすれば相手はこう動く」ことを知っていて、実際にその通りになりますので、厄介な人に接する時に上手く対処していたにすぎません。

そこに愛はありませんでした。


しかし、こうして愛を感じた時、愛そうと思った時、純粋なまでに相手の笑顔や喜びを願うようになります。

また同時に、地上の人間に対する哀れみを強く感じるようになりました。

多くの人があまりにも病気であること、心の病、霊的な病を患っていることに対して本当にかわいそうだと思ったのです。

あまりに哀れで涙を流すほどに。


一見すればそうは見えないでしょう。

あの人はお金もあって生活に不自由していない。どこがかわいそうなんだ? と思うかもしれません。

ですが、その人そのものや周りをよくよく見てみれば、すでに心の病が物質化していることがわかるでしょう。

外傷や腫瘍のように明らかに見た目でわかる人もいますし、子供がいない家庭や空気が悪い家庭など、注意して見ないとわからない人もいます。


これらのすべては心から生まれています。

心の中の痛みや恐怖がそうした環境を生み出しているのです。

どんな人であっても地上で生きている人間の中に病気でない人はいません。

何かしらに問題があるからこそ地上で体験を積んでいるわけです。


霊界の人間が我々を見る時、こうした哀れみを抱く気持ちがよくわかりました。

本当につらいです。

きっと私も彼らから見れば同じく哀れに見えるのでしょう。

私もまた自身の問題を知っています。

自己憐憫の情があまりないので自分では意識していませんが、きっとそうなのでしょう。

だからこそ、 愛せるのです。

自分を攻撃する人がいても、敵であっても、相手もまた病気に苦しむ人間であり、毎日苦しんでいることを思えばこそ赦せるものです。

だからこそ幸せを願うことができます。

そもそも相手を攻撃するのは病んでいるからです。

すべての問題は自分の中にあるのです。


同時に神の愛に感動しています。

私がいつも涙を流すほど感動するのは、神の愛のあまりの大きさと深さに対してです。

神は我々に再生というチャンスをくださいました。

何度でもやり直させてくれる。

物的に再生せずとも同じなのです。

生命は死なないので、何度でもチャンスが与えられます。

この痛みや苦しみが愛に変わること。

こうした経験がなければ愛を知ることができないこと、そうしたことに感動するのです。

この体験を与えてくれた神に胸がいっぱいになります。


やはり今までの経験でいえば、愛を維持するには疲れないことが一番重要だと思います。

肉体と魂(霊体)はつながっているので、お互いに影響しあいます。

疲れて精神が過敏になると魂の発露がうまくできないのです。

それによって霊からの指導も絶え絶えになってしまいます。

私たちの生活スタイルがあまりに慌ただしいのです。

私のようにほとんど好き勝手やっている人間でさえ慌ただしいのですから、今の日本の社会が抱える病を強く感じました。


日本は精神的な病を患っています。

それもまた進化の一つのパターンなので、これを乗り越えることで新たなステージに入れるはずです。

愛してください。

優しくしてあげてください。

あなたが相手に攻撃しても何も変わりません。むしろそれが自分に返ってくるだけです。

誰もが大変な道を歩む仲間なのですから、優しくしてあげてください。