園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

勇気を出すんだ

この世界で起こることで重要なことはほとんどありません。
ただ、ここで注意してほしいのが、これは霊的な観点からの話だということ。
こうした物的な困難が訪れる時は誰もがそうした側面を重視しますが、
それは社会を生きる人たちならば誰でも注目するので
ここではあくまで霊的側面から述べていることを注意してください。
霊的な次元のものを物的なものと同じ次元で解釈はできないのです。
といっても霊的なものをあまりに離れて考えてはいけません。
両者は常に融合して存在しているということです。


私たちが地上に生まれてくる目的は、
物的側面の裏側に霊的側面があることを悟ることです。
つまりは、死んだあとの世界が確実に存在し、
自分は何も変わらない事実を知ることです。
それを知るとどうなるか。とても簡単な答えが待っています。
今という自分を大切にして、日々を一生懸命生きるようになります。
なぜならば、自分は自分として存在し続け、成長し続けることを知るからです。


私は子供の頃、死んだら自分の能力が消えてしまうことが怖かったです。
死ぬのは怖くなかったのですが、こうして毎日蓄えた知識や能力が消えるとすれば
いったいこの人生はなんだろう、と思っていました。
そして、気がつけば永遠のものを探し続けていました。
永遠に消えないもの。永遠に存続するものは何か。
結局はそれは霊であり、自分自身だったわけですが、
少なくとも私にとってはそれが一番重要な点でした。


永遠に成長し続ける。
これを聞いた時、喜びに打ち震えました。
だって、永遠にあんな感動を味わい続けられるなんて幸せの絶頂です。
燃焼系作品を作っていますが、あの感動、涙、情熱、愛情!!
魂と魂の衝突と融合!
あの感動を味わい続けられる。しかももっと強烈にダイレクトに!
そう、霊的事実を知るということは、毎日が情熱的になるということです。
まあ、これも私がそうした熱い系の人間だからということもありますが、
誰だってそこに希望が見出せるものです。

仮に見出せないのならば、
地上でやましいことがあるか、日々を怠惰に生きているかのどちらかでしょう。
それが露呈されると困ることを自分が知っているから怖いのです。


私たちは所詮人間です。
人間なんて、どうあがこうが霊的視野を持つ守護霊には到底及びません。
当然、単独では邪霊集団にも太刀打ちできません。
私たちができることは日々を勇気を持って生きることです。
自分が正しいと思うことをしなさい。
必ず絶対の確信を抱ける事柄があなたにもあるはずです。


この地球が神によって造られたこと。
神のシステムは成長と進化という愛であること。
善行をして報われないことは絶対にないこと。
これが励みにならずに何になりましょう。
人が死なないという事実は、与えた恩は絶対になくならないということも意味します。

当然、反対に悪行を行えば自分で自分を罰するというシステムでもあるのです。

罪を犯した人を責めることはありません。

結局は自分自身で責任を取るのです。だから自分の成長に集中しなさい。

存分に与えなさい。
神が保証人として控えているのだから、全力でぶつかればいい。


勇気を出すんだ!
この世界に失敗はない!
失敗を知らない人間に成功もない!
とすれば、失敗も成功なんだ!


私は逆転裁判が大好きなんですが、


ピンチの時こそ笑え


これはまさにその通りです。

というか、アニメ版のマヨイちゃんがあまりに可愛い。

声も可愛い。ちょっと結婚したくなりました(オチが酷い)



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強い意志の力

私たちは何があっても人生を生き抜かねばなりません。
まさに何があっても、何が起こっても耐えねばなりません。
それはこの世界が試練と償いの境涯に属しているからです。
未熟な世界ではさまざまなことが起こりますし、
仮にカルマの清算ともなれば相当な激痛を伴います。
ですが、それらはすべて成長するために必要な要素なのです。

私たちの地上は、あくまでかりそめの世界なのです。

その後に待ち受ける霊的生活こそ真実の世界。

だからこそ、ここでの痛みはすべて経験になります。


その中で意志の強い人と弱い人がいるのも事実です。
昨日述べたようなことは意思が強くなければできません。
どんな犠牲を払ってでも成し遂げるという強い意念がなければ難しいでしょう。
これも人それぞれです。
私も非常に意志や意念が強い部類に入る人間です。
たとえば、何か起こった時、それがピンチであればあるほど覚悟が決められる強さ。
こうした強さは今まで他人と比較してきても強いと自覚しています。


こうした部類の意志の強さというのは、倫理とは関係ない要素のようです。
意志の強い人間に倫理観がなければ、その人はいわゆる悪人となるでしょう。
そしておそらく、その中でもかなり上位の存在になります。
ヤクザやマフィアの幹部とか組長とか、そうした存在になるでしょうね。
地獄に行っても大なり小なり親玉クラスになるのです。
こうしたことから意志の強さ、おそらく霊力の強さというのは
愛や倫理といった要素とはまた別の存在なのだと思われます。
一方、それが善に転じると、まさに天使のような存在となります。
強さと優しさと叡智を兼ね備えた存在になれるのです。
地上でいえば、偉人や聖人という存在になるでしょう。
当人が求めれば大きな資金を動かす存在にもなれます。


正直に言えば、こうした覚悟を持っている人間は少ないです。
少なくとも私の周りにはいないので、割合としては一割くらいなのでしょうか?
(完全なあてずっぽうですが)
これを見極める方法は非常に簡単。
先ほど言ったように絶体絶命とはいかないまでも、
何かトラブルがあったときに、その人の目を見ればよいのです。
だいたいの人は怯えた目をしますが、
意志を持った人の目は強烈な力を宿しているはずです。
ピンチの時ほど不屈の炎が燃え上がる。これがポイントです。


ただ、力とは正しく使わねば身を滅ぼします。
私が仮に悪人であったならば、自分でも怖いと思えるほど残忍になれるでしょう。
これは単純に「目的のためならば何を犠牲にしてもかまわない」と割り切れるからです。
当然、倫理や理性があるのでそうしたことはしませんが、
意志の強い人間はそのことが自分でもわかっているものです。
だから普段は争いを好まず調和を保とうとします。
それが神の法であるだけではなく、自分が本気になったら一瞬ですべてを破壊できることを知っているからです。
力は正しく使わねばなりません。
だからこそ神は資格ある者にしか行使を許さないのです。


でもまあ、昔の日本人、侍とか武士とか日本兵とかを観察していると
こうした部類の人も多かったのではないかとも思えるわけです。
その意味では日本も相当劣化したのかな・・・とは思いますね。
霊訓でも近代日本の霊的成績はかなり下がっているそうですし。
ソースはこちら。「新樹の通信」より。
(たぶん、これだったような・・・
 慣れるまでは読みにくいので一回しかまだ読んでおらず)

霊界通信 新樹の通信
霊界通信 新樹の通信
潮文社

よく言われるのが、倫理観が高くても霊格が低い人がいます。
それは善の存在なのだけれど無知で力が弱い人間のことです。
霊格とは総合値なので、叡智や霊力の強さも重要な要素になるわけです。
親切でもすぐ詐欺師に騙されたり、簡単に負けてしまうようでは話になりません。
強さが必要なのです。
もちろん、男女差はありまして、男のほうが叡智や力に優れているのは事実のようです。
それも最終的に統合されていきますが、まだ性というものが如実に表れている今は
その傾向もかなり強く出ることになるのでしょう。


何が言いたいかというと、常にスーパーポジティブであれ、ってことです。
腕がもげようが何かで大失敗しようが、私たちは生きるしかないんです。
無我夢中だろうが悟りを開こうが、この地上で果たすべき使命と必要な体験を積むしかないのです。
お涙頂戴が嫌いなのは、そんな暇があればさっさと行動しろ、という意味です。
もし現状が嫌ならば行動で変えねばなりません。
地上は行動によって示す世界だからです。


その気になれば何だってできるんです。
ただ、人は何かを得ると失うのが怖くなるものです。
だからこそ失う経験が必要なのです。
私もいくつか失って初めて価値のないものだと痛感したものです。
見栄も必要ない。実績なんてものも必要ない。金がないなら作ればいい。
泣き言言っている暇があったら動け、そういうことです。


すべては意思から始まります。
それが強さになって意志となり、すべてを変える力になるのです。
怒りや哀しみや痛みは、そのままではマイナスの要素ですが、
上手く扱えば進化と行動の原動力となるのです。
だからまだその段階の人は、痛みを嘆いてもかまいません。
苦しんでいても問題ありません。
そうした体験がなければ人は成長しないのです。


かといって、こうしたチャンスを見誤ってはいけません。
困っている人がいれば助けようとするのが当然のこと。
どんどん善行を積んでください。
ただし、その善行もまた段階によって見た目がかなり変わってきます。
仮に今の私に誰かが助けを求めてきても、それがたいしたことないなら無視します。
なぜならば、私にとっての使命と目的というものが明確に存在していますので、
まったくぶれることがないからです。
これも今まで色々な経験を積んだからこそできることです。
そうしたことに関わっていれば、より大きな仕事ができなくなるからです。


簡単にたとえれば


このブログを書いている時間を仕事に使えば、もっと進むんじゃね?


って感じです。
非常にわかりやすいたとえですね・・・胸が痛いです。


まあ、たしかに時間のロスですが、これを見て何かを考えるきっかけになってくれればということで・・・趣味ではありますが、これもある種の善行の一つだと思ってやっています。

私的日記なのでかなり赤裸々で乱暴に書いてはいますけれど、

本質の部分では嘘偽りなく書いているつもりです。


では、今日はこれにて!

あとはひたすら仕事に励みます!



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厳しいことを言うようですが

私は震災などが起こるたびに思います。


なぜ泣くのか。
なぜ憤るのか。
なぜ受け入れられないのか。


毎日これだけ動物を殺しておいて、これだけ自然を破壊しておいて
どうして自然がその反動を生み出した時に嘆くのか。
私には不思議でしょうがない。


実に当然だと思いませんか?
神という完全なるシステムによる当然の結果です。


今あなたが食べたものは何でしょう?
肉だとすれば、動物を殺したものです。
生命はすべて平等である。それを知っていながらも殺している。
殺したのならば殺されても問題はないはずです。
動物に去勢を求めるのならば、まず自分が去勢してみるとよいでしょう。
相手に強要するのだから自分が同じ痛みを負うのは当然のこと。
だからといって、それが強要する理由にはなりませんが・・・

どれだけ自然を壊したのでしょう?

動物を追い詰めたのでしょう?

彼らが発した愛の情を裏切ったのは誰なのでしょう?


神が絶対である最大の理由は、
我々が無知であっても法則は機械的に発動することです。
知らなくてやっていても罰は下ります。
そうでなければ神の絶対的な正義と平等が保てないからです。
知らないから殺していいことにはなりません。
知っていて殺すのは悪いことですが、知らなくても法則は発動します。
ここで私が言っているのは、地震がどういう理由で起こったかではなく
人間が愚かなことをしているくせに、その痛みを受け入れるのを拒む愚かさを述べているのです。
よくよく人間が今までやってきたことを考えてみることです。
当然、各個人の問題も絡んできますが、人類全体としての過ちは計り知れません。


もし、腕を失ったら神に感謝してください。
腕を失ったことであなたは新しい体験を得られます。
もし目が見えなくなったら神に感謝してください。
盲目のほうがただの肉眼よりもはるかに価値あるものを教えてくれます。
家を失ったらそのことを神に感謝してください。
それによってあなたは初めて弱い者の気持ちを知るでしょう。
そして、周りを助けることを知るのです。


この地上で何があっても束の間の体験です。
それによってが傷つくことは一切ありません。
調整は必要となりますが、身体が吹き飛ぼうが霊体には問題ありません。
常々神は慈悲深い存在だと思います。
人間がこれほど愚かであるのに、それでも愛することをやめることがない。
その愛はまさに我々には計り知れないものです。


私は痛みを崇拝しています。
痛みこそ人の性格を矯正する最大の薬です。
他人を馬鹿にした人は、その馬鹿にした人と同じ状態にされて苦しみます。
それによって自分が愚かだったこと、価値観が誤っていたことを知ります。
これこそ神の愛です。
もしそのまま何不自由なく過ごしていたら、あなたはきっと愚かなままでした。
それを改善するチャンスを与えてくれたのです。


そして、その時こそ自分が正しいと思うことをすべきです。
見栄や外聞ではなく自分の魂が欲する純粋な声に耳を傾けるべきです。

私の魂の声はまったく変わりません。
霊的真理を広めること。これ以外で人類が救われる方法はないのです。
少なくとも私はこれを強烈に信じています。
何度も思考して、苦しんだ結果出た答えですから、ぶれることはないのです。

それまでに強烈な痛みを味わい続けたからです。


申し訳ないですが、私はお涙頂戴という感傷に浸る気はまったくありません。

お涙頂戴発言をすれば地上人には拍手喝采でしょうが、永遠に真理には到達できません。

それにはまったく価値がありません。ただ無知の道に戻るだけのことです。

物資が足りないのならば、世界一周旅行などさっさとやめて

全人類に平等に行き渡るようにすべきです。実に簡単なことです。

もう動物を殺さずとも人は生きられるはずです。

それだけの技術を得たはずです。

なぜそれができないのか。それだけ人がまだ未熟だからです。


私はシステム至上主義者でもありました。

かつては人類を平等にするシステムが何かをずっと探していましたが、

今は神という完全なるシステムを知っていますから、すべてを受け入れられます。

完全なるシステムを完全に維持すれば完全なる結果が生まれる。

つまりは、神の法にいかに順応するか。それしかないのです。

今なお物的宇宙を拡大し続けている無限の神に、たかだか地球人類が敵うわけもありません。

所詮地球は体験の場の一つにすぎないからです。


今回の痛みでまた光が広がることを祈っています。

また一つ愛の輝きが増えるでしょう。

物的なものの儚さを知り、本質を探し求める人が増えるでしょう。

苦しみ、哀しみ、それが貴重な体験となり刺激になるのです。



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