園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

人が死んだら喜ぼう

人間にとって地上はやはり大変な場所です。
肉欲とか地上的な喜びに染まっている人は地上のほうが楽しいかもしれませんし、
地上で自分を鍛える喜びに満ちた人はそれなりに楽しいでしょうが、
霊の輝きに比べれば微々たるもの(らしい)です。
ですので、何はともあれ人が死んだら祝うべきことです。
肉から解放されたのですからこんなに素晴らしいことはありません。


昔から、人は他人のためには泣かない。自分のために泣くんだ。
そう言われますが、まさにその通り。
哀しいという感情は少なからず愛情から来るものの
その大半は自分が寂しいから、物的困難が増えるから哀しいのです。
死んだ当人は自由になるので、本当の意味で相手を思えば哀しいことはまったくありません。


で、タイムリーというか、義姉(兄の嫁)の父親が本日亡くなりました。
色々と闘病生活が苦しかったようで楽になったのでよかったとは思います。
まあ、こういう時ほど霊的真理が最大の力を発揮するのですが、
私は毎度無力感を感じます。


言っても多くの人が理解できないから


霊性がそこまで発達していないと無理ですし、時期というものがあります。
知識は基本的に押し付けるものではありません。
自分から求めないと本当の意味では理解できないのです。
かりそめのものは一時は得られても、必ず後から反動が来ます。
それは本当に身になっていないからです。


だから私は苦しみや哀しみを大いに推奨しています。
その苦しみが強ければ強いほど、求める力が強ければ強いほど
その反動で一気に覚醒を果たすことができるのです。
どれだけ本気で生きたか、闘ったか。あるいは哀しんだか、求めたか。
私もすべてを捨てて闘ってきたからこそ目覚めたのです。
当然目覚めれば反動も強いので、一時はかなりナーバスになりますが
こうして高い段階で覚醒を維持できています。


何事も中途半端が一番いけない


これは本当に実感するものです。
今日の午前にも宗教の勧誘が来ましたが・・・言葉が出ないですよね。

こんなもので本当に人が悟りを得ると思っているのか。

そのあたりはやはり霊性なのかもしれませんが・・・
どちらにせよ自分のレベルに応じたものが与えられます。
目覚めてもレベルが低ければ既存の宗教にはまってしまいます。
これは必ず待ち受ける罠です。


僧侶を見るたびに「この人は死んだらどうなるかわかっているのだろうか?」と不安になります。
僧侶はいいことは言うんです。
人生について悪いことを言う僧侶はあまりいないはずです。
でも、だいたいは死んだあとのことはわかっていないのです。


僧侶や神父ほど霊的なことは何も知らない


これは専門分野の問題にも通じます。
たとえば絵でもそうですが、自分が得意なことって落とし穴なんですよ。
自分が正しい、自分は探求しているからいいんだ、と思ったら終わりです。
常々新しいものを得ようとしないと硬直化してしまいます。
ですが、専門でやっていると思っているがゆえに怠ってしまうのです。

いつも同じ本しか読まないから硬直化するわけです。

だって、人間って放っておくと自分の好きなものしか見ないですよね。

それではそうなるのも当然のことです。


不思議ですよね。自尊心や傲慢が原因なのでしょうが・・・私も痛い話です。
上手い絵を見るとドキッとしてしまって、一瞬目を背ける感覚に似ています。

でも、多様性こそが人の可能性なのです。

自分の嫌いなものに触れて、受け入れてこそ自分が大きくなるのです。
自分が常に劣っている、無知であると思っていたほうが
さまざまな視点から勉強することができるので謙虚さは非常に重要ですね。


死んだあとは指導霊か案内の人が来ているはずなので、もし周囲の様子が変だなと思ったら呼んでみてください。
たぶん目の前にいます(知らない人は気がつかないことが多い)


その時無礼な口を利かないようにしましょう。

相手はべつに気にしないでしょうが、一応神の使いなんでね。

ホワイトイーグルも言っていますが、

「あなたも神の使いがやってきたら、即座にその言葉に従わねばなりません」

とあります。

守護霊や背後霊も神の使いなので、素直に従いましょう。


知らない土地に行ったら、

そこに住んでいる人の助言を聞く

これが基本です。


私としては眼帯の龍神のジジイ希望します。


「ボウズ、ついてこい。これから修行だ」
「うっす!」


・・・個人的願望なので気にしないでください。
私も死んだら幽界で精神統一の鍛錬するんだろうなーと思って日々過ごしております。



さてもう一つ。
病気という言葉にどんな印象を受けますか?
「ガンになったの」「かわいそうね」「そうでしょう。私ってかわいそう」
というパターンになりますが、これはまったくの間違いです。


「ガンになったの」
「なるほど。あなたは私生活、特に普段の感情に問題があるのね」


と思うのが普通です。
何か病気になるということは原因があるものです。
ガンは一般的には精神の病気と呼ばれていて、
悪感情が(神)気の流れをせき止めて細胞に異常が発生することでなるそうです。
ガンの場所は、どんな悪感情を抱くかです。
感情と臓器はつながっているので、そこでその人の問題点がわかります。
誰でも悪感情は抱くものですよね。
そうですね・・・改善策は


自分のことに一生懸命になること


でしょうか。
もちろん他人のことに一生懸命でもいいのですが、
最初の自分というものがちゃんとしていないと
相手のことばかり気になって批判につながってしまいます。
他人に奉仕をするにはまず自分を鍛えねばならないのです。


ということで、殺人であっても被害者は問題ありません。
それはその人間の因果律によって起こっていることなので
もしそれで相手を憎むのならば、やはりそれだけの人間であって
それが一つの勉強になるわけです。



相手を憎めば殺された人間も地獄的境涯に行く


神はすべてにおいて愛と叡智をもって臨むことを求められる。
霊的法則は絶対であり、大変だからこそ価値がある。


人は自然法則によって永遠に生きる
それは信じる信じないに関わらないもの


だから法則なのです。


ちょっとドライですかね?
感傷や同情は本当の力ではありません。
その人にとって何が大切かを本当に考えれば、何が大切かはすぐにわかります。


子供に砂糖菓子ばかりを与えていたら死にます


それは本当の愛でしょうか?



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