園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

執筆中

霊的関係の書籍についての執筆を始めることになりました。
とはいっても電子書籍ですが書籍であることには変わりありません。
うん・・・正直に言えばあまり自信はないです。
私自身未熟者であるとわかっていますし、その資格はないと考えています。
知れば知るほど霊的法則は厳しいこと(敵を愛する等)を要求してきますので、
全然できていないな・・・と思う日々です。
一方でそれに少し安堵している自分がいます。
「まあ、どうせ未熟者なんだから、自分なりに進めばいいや」と
まだまだたるんでいる面があるのも事実です。
日々のストレスでうっかりゲームをやってしまったり・・・とか(反省)。


それとこの五年間、ちょこっとゲームや文章で霊的真理を出してきたものの
どれも半分は自己の創作や想像や仮定が混じっています。
というのも、直接的なものばかりだと作品が成り立たないことが多く
どうしても盛り上がる要素を入れねばならないからです。
ゲームをやる人間に合わせて、最低限興味がそそられるものを抜粋しているので
根幹の部分が少しおぼろげになっていることも間違いありません。


それ以外の直接的なものはどれも頓挫して終わってきました。
一番の原因は、私の中でのエネルギーが不足していたことと
霊と肉とのバランスが安定していなかったことが要因です。
何事も段階があるのはいつも述べていますが、
霊的真理が日常のものとして馴染み、意識せずとも実践できる段階に入るにも
それなりの時間が必要となります。
それに私も五年を要した、ということです。

毎日霊について考え、悩み、拠り所にするを繰り返し、

瞑想や禁欲など色々と試しての五年なので、思えば中身は濃いです。


また、五年経ち、改めて勉強したいと思ったのも今年に入ってからです。
本当は一人でじっくり十年くらいかけて勉強していこうと考えていたのですが、
最近になってものすごいエネルギーを背後から感じるようになりました。
これは周りの環境が整ってきていることからも想像できますし、
正直こういうと不審がられますが、
スピリチュアライズを進めているであろう霊団からの波動も感じられます。
直接的に意識するのは自分の背後霊団のことですが、
そうした流れも少しずつ意識できるようになりました。


さて、創作なら簡単に書けてきたものですが、いざ書籍となると難しさを感じています。
うん・・・私は真面目な人間ではありますが堅苦しいのは好きじゃないんですね。
ラム肉のようにフランクでいきたいと考えていましたが
あれはフランクすぎるのでやめようとここ数日で決定されましたw
よって、私自身の言葉で素直に表現することにしました。
また、それに伴う書籍も以前買っていて途中で読むのをやめていたので
今になってそれが役立つというのも人生の妙というものです。


そう、色々な人間の人生を観察していると熟成期間があることがわかります。
たとえば何かをやろうとしていて駄目になって、
それが何年か経って再開あるいは別のものになって復活するなど
こういうことは多々あります。
というよりは、こういう過程をほぼ踏んでいくようですね。
「ああ、買ってあったな」とか「ああ、そういえば前に登録してたわ」
とか色々なものが後から役立つようになっています。


現在、霊訓を改めてじっくり読んで勉強していますので、
それに伴って少しずつやっていこうと思っています。
一年か二年か・・・あるいはもし私のエネルギーが強ければ早まるかもしれませんが、
一生に一度出すかどうかのものなので焦らないことにします。
分けるかどうかによっても変わるのでしょうが・・・
自身の勉強も兼ねて整理していこうと考えています。


何事もそうなのですが、欲しいと思うときには得られなくて

もう特に気にしていない、あるいは欲しくないときに希望が叶えられることがあります。

たとえば、以前は誰かに尊敬されたいと思っていたこともありますが、

その時ほど得られず、それが当たり前になって「もういらない」という状況になってから

なぜか周りからそういう感情を向けられて戸惑うことがあります。

「できればそっとしておいてほしい・・・」と思うこともしばしばです。

物にしてもそうで、「もう一生いらないだろうな」と思って記憶から消えたころに

ふと手にして「いや、べつに今はいらないよ・・・それよりも今飢えている人が優先だろうに」と思ったりすることが多いです。

ただ、そういう人間なので自分では絶対に無駄遣いしませんから

他の方面からこないと必要なものすら不足することもあるのでしょう。

そこは気まずい思いをしながらも潔癖すぎる自分にも問題がありそうです。


霊的なものも同じなのでしょうね。

傲慢な時は力が欲しくて仕方ないものですが、その時ほど資格がないものです。

もしそんな人間に与えてしまったらろくなことになりません。

そして、すべてが奉仕と愛と叡智に満たされたとき、

「私には余りあるもので正直自信がない」と言えるようになったとき

神の創造の力を行使する権利が与えられるようになるのでしょう。

高級霊を見ていても「私には身に余るものだと自覚していますが・・・」と言いますので神の仕組みはすごいものだと感心するばかりです。


「たしかに昔はやりたいと常々思ってはきたけれど、今は全然自信がない」

そんな心境です。




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