園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

自殺は自分の責任

いやー、確定申告も終わりまして、イラストの仕事もだいぶ見通しがつきました。
まだ終わっていないですが、少しずつそれ以外の仕事にも
手がつけられるようになってきました。
計画は第二段階に入りつつありまして、まだぷる汁を仕上げねばなりませんが、
それを含めて自前の企画を動かしていく時期になってきたかな、と。
提携グループの話も含めまして今後色々と活動できそうな予感です。
また動きがありましたらお知らせいたします。


さて、震災の話もありまして、多少霊的なお話もしました。
私も本当はみなさんと一緒に「ああ、哀しいね」と言いたいところですが、
事実は事実として受け入れねばならないので残念ですが
一緒に感情を味わうことは許されていません。
そこは申し訳なく思うのですがね・・・
事実を捻じ曲げてみんなと一緒に~というのは、私の性分には合いません。
まあ、だからこうしてほとんど単独でガンガン進む人間なのかもしれませんが。


人は死なないのです。
どうあっても死なないのです。
たとえば、震災で各地で祈ったりしていますね。
では、それは何に対してどのような意図をもって祈っているのでしょうか。
私も子供の頃は墓参りで「僕は元気です。そっちは元気にしていますか?」
とかは思っていましたが、私たちが考える霊という存在は
どこかぼやっとした概念的なもやもやした存在ではないでしょうか?
ですが、実際は違うのです。


愛や勇気や希望、意識というものは厳然と存在しつつも
物的な視点では見えませんね。
もちろん、現在の地球の波動が低いので見えないだけなのですが、
我々自身が意識というものをあまり認識していない傾向にあります。
意識を重要視しつつもよく理解していない。そんな状況です。
それは地上ならばよいのですが、肉体を捨てると意識が中心になります。


意識の世界では、
愛や夢や希望というのは
実際に手で触れられるほど実感がある


そうです。
普通に考えればそうですよね。
物的な世界だって同じ波動の物質でないと触れませんし、
振動数や状態が変化すれば消えちゃいます。
たとえば固体が気体になるように。
空気のように触れているのでしょうが、意識することはなくなります。
でも、やっぱり存在そのものは実際にあるわけです。


今は科学の分野でも普通に論じられているもので、
ディスカバリーチャンネルとか見ていると、もっと凄いこと言ってます。
科学者たちは平行世界を普通に論じていますからね。
ヒモ理論というか、宇宙は波動によって無限に存在している、とか。
霊界からの情報では、宇宙は一つ。
されど、振動数によって無限の様相があると言っています。


そうした無限の世界は、親和力の法則によって同じ振動の存在を引き寄せます。
同じ原子が引き寄せ合って合体するような感じでしょうか。
自殺した人間もまた同じ結果を迎えた人間が集まる境涯に行きます。


さて、これがまた面白い話なのですが、


基本的にどんな理由であっても自殺した人間は
ひとまずそうした下位の境涯に行くようです。
(例外も一部あるそうですが)


これは自殺によって強制的にシルバーコードが切られ、
肉体から霊体が離されたショックによる振動数の乱れ、
意識の混乱
によるものです。
物事は感情的ではなく合理的に理性的に考えると理解が早くなります。
感情的な良い悪いではなく、こうした事情によって
たとえその自殺が誰かを庇うものであっても、一時的な混乱は避けられません。
一部の霊訓では、「自殺は神の法に反しているから」という表現をします。
それも正しいのでしょうが、現象というところだけに注目すると
やはり非常に合理的な因果関係で把握することができます。


今また学生の自殺の問題で色々話題になっていますね。
ここも批判されるのを承知で言いますが、


自殺は自分で決めた結果


です。
他の誰が悪いというのは存在しません。
自殺した人間が自分の人生を自分で決めた結果です。
これには誰も干渉できません。
たとえ外部からの影響があっても、所詮は外部。
最終決定権は自分にあります。
これが私がここでいつも言っている



自分の人生は自分で決める


だからこそ利益を受ける権利がある


というものです。
これを逆に言えば



自分がした過ちは自分で責任を取る


ということでもあります。
自殺にも種類があって、衝動的な錯乱状態の自殺や
やむにやまれない事情があってするものがあり、
それらは情状酌量の余地があるのは明白ですから
そのあたりは考慮されます。
特に自分が死なねば誰かが犠牲になる場合に身代わりになることは
英雄的行為と考えられますが、どちらにせよ前述した状況の変化から、
しばらくは混乱します。


「ここはオレに任せて早く行け!!」


「あー、やべえ。禁煙・・・破っちまったぜ・・・」


「愛していたと・・・伝えて・・・くれ」


燃えますね。



自分の意見をはっきり言わないとLOSE-WINになってしまいますし、
そこで自分の人生を破壊してはまったくもって無意味です。
さらにあまりLOSE-WINが続くと面倒なこともあるのです。
物事には反動というものがあって、必ず振り子はバランスを取ります。
その際に片方に寄り過ぎると振り子が一気に逆になることがあるのです。
今の慰安婦の問題だって、戦争の痛みから日本は長らくLOSE-WINの状態にありました。
その結果としてすべて受け入れる姿勢でいたのですが、
長年のそうした状況の反動が今になってやってくると、
バランスを取り戻そうと一時的にWIN-LOSE寄りの行動を取ることがあります。
これが一番怖いところです。


「もう他人の言いなりは嫌だ。これからは力づくでもはっきりする」


「ふざけるな! ぶん殴ってでも二度と屈しないぞ!」


と。

自分がいじめられっ子なら、それはそれで価値があります。

人類の進化とはそうして進むものだからです。

ただ、急激な変化は急激な行動を取らせます。

これが拳ならいいですが、ナイフや銃だったら・・・というですね。
何事も性急は危険なのです。
若いうち(人間も国家も霊的に)はこうしたことがわからないので
少しずつ経験を積みながら成長していくしかありません。


何にせよ、いつも言っているように


自分の大切な意思は絶対に貫く


これが重要です。
他人に大きな迷惑をかけたり、人を無意味に傷つけたり
社会のルールをいきなり大きく破壊したりするのでなければ、
これは非常に大切なことです。



誰かの言葉で傷ついた

自分を慰めるのではなく、

誰かの言葉に動じない

強い心を養ってください。

他人に何を言われようと

自分は自分だと強くあってください。


こうしていないと、いつか反動で大きなことをしてしまいます。

殴り合いで済むところが殺し合いになってしまいます。

常日頃からはっきりしていると、悪くても口げんかで終わります。

常にある程度発散してください。


個人レベルだと、ここで処世術を学ぶとよいでしょう。
人間の心の動きを把握していると人生は過ごしやすくなります。


「ここは相手を立てたほうがいい」
「こうすると相手を刺激する」
「この状況に向かわせるには、この行動が適している」


などなど、環境を制御することが可能になります。
霊的な知識を得てみてください。あなたの人生は変わるでしょう。
ただし、あなたの霊性以上のものは受け入れられません。
卑屈な人間がいきなり聖人にはなれません。
一時的になったように勘違いすることはあっても、
振り子のようにすぐに正しい位置に戻ります。



毎日をバランスよく生き、中道を歩む。
地上の穢れを恐れず、かといって屈せず
自分を律して生きていく


これが一番です。



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