愛
私がここで書いている内容の多くは主に処世術に関係したものが多いです。
その理由は、以前と比べて私自身が物的活動を増やしたことと、
今悩んでいる人の多くがすぐに使えるテクニックを選んでいるからです。
一方で、愛については今はあまり語っていません。
数年前はメインで語っていた母性的側面でもありますが、
現在の恐怖や現実的問題を抱えている人には届かないことが多いのです。
愛とは感じるものですから、より高度なものなのです。
それを実感できるまで達観するのは、悩み多き現代人には難しいものです。
が、やはり愛こそがすべてなのです。
私は自分の作品制作を通じて愛をずっと探してきました。
受け入れる愛もあり、与える愛もあり、殴る愛もありました。
自己犠牲の愛、あえて敵になる愛、すべてが愛に起因していました。
ただ、ようやくにして愛というものが何であるか、
それは本当にわずかですがシルバーバーチによって教えてもらうことになりました。
本当の愛というものは、頭で考えるようなものではないのです。
優しさや思いやり、弱い人を守りたいというのはもちろん愛ですが、
その表現の一つにすぎません。
どんなものもすべては愛の表現なのです。
真なる愛と呼べるものがあるとすれば、感覚によってのみ理解できることを知りました。
私も数回ばかり真の愛を感じて、
ただただ満たされるばかりであったことを思い出します。
それは瞑想や黙想といったもの、霊的意識を少しでも拡大しようとする時に感じます。
世界は愛であること。
人も動物も自然もすべてが愛されていること。
生まれてきたこと。愛されたこと。愛したこと。
嫌いな人さえ愛おしく、ただただ感謝の気持ちが溢れかえります。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
全身を突き抜ける愛の波動によって世界がまるで違って見えます。
それでもたったひとカケラなのです。
私たちが肉体を捨てて霊体だけで生きるようになると
神の愛というものを強く感じるようになるそうです。
私が感じたこの愛の波動。それでもあまりに美しくあまりに感動的なこの愛でさえ、
神が発している愛のごくごくわずかな影にすぎないという事実。
これを知ると、いかに地上の人間が闇に閉ざされているかを悟ります。
そしてまた、神がいかにすべてを愛していることを知ります。
特に人間に対する愛は計り知れません。
哀しい時も楽しい時も神の愛が減ることはありません。
ただ私たちが感じられないだけなのです。
機械が壊れていればどんな素晴らしい音楽ファイルだって聴くことはできませんね。
PCやスマホがなければメールのやり取りはできませんが、
電波やサーバー自体は存在しているわけです。それが見れないにすぎません。
神の愛というのはこれほどすごい。
言葉ではもう伝えられません。自分で感じてみるしかないのです。
たとえると、漫画でも映画でもいいんですが、よく感動して涙を流しますね。
あれが通常の状態になる、といった感じでしょうか。ちょっと表現しづらいですけど。
もしあの愛を維持できるならば、もう何があっても愛することしかできません。
シルバーバーチも「愛することしかできない」と言うのですが、
あれを感じるとその意味が少しばかりでもわかります。
私も常々愛をもって臨みたいと思っています・・・が、
やはりまだまだ未熟だと日々痛感はします。なかなか愛を持続させられません。
でも、それでいいんですよ。
人間なんてそんなものですから。
個人的にはあと十五年くらいかけてじっくりと大成していきたいと考えています。
少なくともあと十年はかかるでしょうね。
それでもいいんです。ゆっくりじっくり成長していけば。
それと十二英雄伝ですが、また一週間~10日に一回で連載再開することにしました。
うん・・・やっぱり期限がないと甘えてしまいます。
一回一回の文字数は減るかもしれませんが、継続していきたいです。
よろしくお願いしまっす!
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