変化球は使ってない気がする
そういえばスレイブサーガを書くときは、変化球はなるべく使わないことにしています。
できるだけわかりやすく、けっこうくどいほど説明したり、匂わせたりする、という意味ですね。突然設定にない何かをぶちこむ、ということはないです。
物語を書くためにはいろいろな手法があって「実はこうでした」というやり方もいいんですけど、それは最低限にしています。
せいぜいアンシュラオンの「わかっていましたよ」的なやつくらいでしょうか。
本当は驚かせるためにいろいろ黙っていたいのですが、あまりやるとね・・・突然感が出てしらけちゃいますからね。
ですから、匂わせるための準備段階が必要になるわけです。
途中で話を入れたり、説明が長くなったりするのは、こういったショック系の手法を使わないための保護措置なんですね。
まあ逆に、そのせいで設定が多くて混乱する、ということもありえるかもしれません。
たとえば抗争編におけるアンシュラオンの目的って、本当に自分でもくどいと思うほど説明しているのですが、そこを案外理解していない人もいるんだなーってことがわかって驚くこともあります。
あれだけくどく言ったのにどうして? という気持ちはするのですが・・・不思議ですね。
最近あなたが面白いと思った娯楽作品は何ですか? という問いに対して、冷静に考えると戦国時代の時代劇や三国志系のアニメしかないので、完全に感覚が騒乱の時代になっているのかもしれません。
そこではだまし合い、殺しあうのが当たり前の世界。本当の味方など誰一人としていない世界です。
荒野も同じ。今笑いあっている人々が、明日殺しあうのが普通の世界なのです。
アンシュラオンもそれと同じです。誰も信じていないし、彼に味方なんていないし、文章中でもそんなことは一言も書いていないはずです。
彼は自分と、自分が支配する所有物しか信じていません。あとはすべて道具です。
そんな感じです。
ではまた!
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「十二英雄伝」 小説家になろう