人生とは「選択」である
腰の痛みはだいぶなくなりましたが、やっぱり重いというのが本音ですね。運動するとまだ鈍い痛みを感じます。
やっぱり寒さもありますよね。歳を取ったなぁと思う瞬間です。
スレイブサーガは、ちょっとアンシュラオンの欲望丸出しになっていますが、自由に好き勝手やれるのが最高です。
このあたりも前に自由にできなかったストレスなんでしょうね。うーん、今思ってもなぜ販売停止になったのか理解できないですが・・・まあ、闇の世界とはおさらばということで、平和に小説のほうでがんばっていきましょう。
子供たちとちゅっちゅぺろぺろ王国を作りたいと思います。(気に入った)
日曜日は父親に付き添って馬券売り場に行ってきましたね。三十年ぶりくらいです。
しかしまあ、施設は綺麗でも中身は相変わらずですw
いいですね。あの駄目人間臭。ネットで見ても競馬ファンは人間が出来ていないので、お互いにクズ同士(褒め言葉)が言い争っている姿は実に楽しいです。
いいね、このカオスな空間。くっさいやつらがいるほうが世の中は楽しくなりますよ。まるで戦罪者の集まりです。
だって普通に生きていたら、なかなかクズにはなれないものですよ。それがなぜかああなってしまう。これってすごいことです。
まあ、私もその中の一人なわけですが。
カオスだなー。まったくもって。
ただ、綺麗ぶって中身は最悪の人間よりは、最初からクズ丸出しのほうが好感が持てます。そのあたりが実に素晴らしいです。隠そうとしないから男気がありますね。
競馬は当たりましたね。中日新聞杯、カペラS、阪神JF、香港マイル、どれも予想通りにきました。四連勝です。
といっても保険で買ったものがそこそこあって、そちらは全敗し、ペルシアンナイト応援企画でも損失を出し、さらに前の週に微減していたので、結局は二千円のプラスにしかなっていませんね。
それもぱぱっとあげちゃったので、プラスマイナスゼロ、つまりは元手のままですね。
うん、やってもやらなくても同じ
という、なかなか笑える現象になっております。ドキドキしただけです。
まあ、よほど勝負に徹しない限り、競馬なんてものは120~140%の回収率で良いほうらしいので、実に奥深いものですよ。
ただ、いろいろと見ていると、競馬に詳しい人ほどデータを知っているので、穴目を狙ったり自分の好きなタイプがはっきりしているので意外と外すかなーという印象。
私は素人なんで、素直に人気馬を買うので当たりやすいのでしょうね。
何も知らないから一応意見は聞きますが、「普通にこの馬のほうが強いんじゃね?」というほうが本当に普通にきますね。
あと個人的には距離とタイム、それだけを見ています。少なくとも私が買っているところでは、最近はタイムが速い馬が順当勝ちしているので、それを見て買っています。他のデータがあっても気にしないようにします。だって、よくわからないですしね。
何事も素直に見るのがいいんだなーと思いました。
絵にしても、下手に知識がついて慣れてくると、「この絵はあれだね、ここがこうでああで」とか言い出しますが、「この絵、いいね」とシンプルに思えるほうが素敵です。
今のところ、競馬でもそれが当てはまっています。もちろん荒れることも多いから面白いんでしょうが、順当勝ちして勝つ楽しみを味わいたいものです。
私なりに思うところが、距離は大事だなということ。できれば同じ距離で走って勝っている馬がいいですね。
0.1~0.2秒で勝負が分かれる世界ですので、常にその距離で勝負している馬のほうが勝負勘があると思うんですよね。人間ならあれこれ考えられますが、馬だと感覚で覚えるしかないので、そのあたりは重要かなと素人なりに感じたところです。
いくら練習でやっても、本番で感覚がないとどうかなーと。
あと、強い馬は強い。これに尽きますね。
逃げ馬だと内枠かどうかは重要ですが、どこでも勝つのが強い馬だと思います。
たとえばアンシュラオンならば、どんな不利な条件でも勝つでしょうしね。ウサイン・ボルトのような選手なら、多少の慣れない距離だって勝つわけです。やっぱり強いから。
そういう馬がいれば一番安心ですね。
競馬は、直感力の向上と思い切りの良さを養うのも目的です。
うろ覚えですが、一番~三番人気の馬が三位までに入る確率は90%以上だった気がします。これって普通の株よりは、よほど確率が高いのではないかと思うわけです。
その中から一頭を選び出して勝負する。そこがまさに直感力の勝負です。
これがなかなかいいですよ。迷いますが、最後は自分を信じられるようになります。自信を養うのにも案外いいんじゃないかなと。
リスクを背負うことに慣れるのが目的なので、今のところは成功していますね。
私にとって人生とは選択です。
すべてが自己責任によって成り立っている以上、自分の人生は自分の選択によって導いていくべきです。
スレイブサーガでもよく言っていますが、選んだ責任は自分にあるわけです。なぜならば、選ばない自由があるから。
たとえば、何を大事にするのか、日々何をやるか、日々誰と付き合うか、あるいは付き合わないのか、そのすべてが自分の選択によって成り立つのです。
だからこそ、利益も不利益も自分だけのものになります。
仮にこれが他人によって決められるものならば、私の競馬の結果のように、何もしなくても変わらないということになります。それでは生きている意味などないでしょう。
毎日好き勝手だらだら暮らしますよ。あるいは混乱を求めて争いをばら撒いて楽しみます。それこそスレイブサーガの世界です。
たしかに神の法則と霊の指導によって、ある意味において自由意志などないのかもしれませんが、選ぶ選ばないは当人の自由です。
だから排除が駄目とか言っている輩が不快でしょうがない。
物事を選ぶということは、他の何かを切り捨てるということです。
我々は常に何かを排除することで生きているわけです。私が絵や文章の能力を手にするために、どれだけ多くの若者の楽しみを切り捨ててきたか、アスリートがその能力を得るためにどれだけ苦労しているか。
すべて割り切って生きているわけです。
この生き方をすれば、誰かに依存することがなくなります。
私が求めているのは、絶対的な個です。それを選ぶのも自分の選択なので、仮に失敗してもそれは自分が愚かだった、と思えるわけです。
けっして他人が悪いから失敗したのではありません。それを選んだのも自分の意思なのです。
みなさんも、ぜひどうぞ。この考えはいいですよ。
ただ、個性が強くなる代わりに、無頼漢になるので注意が必要ですがw
誰にも頼らなくなります。それも一長一短ですね。
長い間、同じことを続けていると新しいことに対してチャレンジできなくなるので、競馬という舞台で思い切りの良さを養っている感じですね。
金がかかっているから本気で選びます。それがいいわけです。
私は人生そのものがギャンブルみたいな生き方をしているようなので、案外性に合っていることがわかりました。
ただ、元から私にとって金なんてものはたいしたものじゃないんです。世の中をすべて自由に操るだけの金が得られないのならば、あまり興味がないのです。
ですから、自分が神になれる「創作」の世界が大好きです。
作品こそが一番重要です。そこだけはぶれないで生きていますね。
そんな感じです。ではまた!
※クリエイター支援「Ci-en」
「十二英雄伝」 小説家になろう