園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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手間隙をかける

 作業をするうえで一番気をつけるのが、手を抜かないということ


 まあ、当たり前ですけど、これが若いときは案外できないものだったんです。べつに手抜きをしているつもりはなくても、見直すレベルが低いので結果的にそうなっていることが多かったです。


 特にやり直しの場合。昔はけっこう面倒に感じていたこともありました。そうすると現状のもので誤魔化そうとする心が生まれてしまって、あまり良い絵にならないこともよくありました。


 ただこれって、単純に能力不足なんですよね。今になって思えば、構成力や画力が低いので新しく構築するのに時間がかかって面倒に感じるのです。能力が上がった今では、さっと描き直せばよいのでさして手間とは思わないです。それよりも質のほうが重要に思えるからです。


 ある程度経験を積めば、どんな職種の人でも仕事で手を抜くことはないと思います。そもそもそんなことをしていたら成り立ちませんしね。だから昨今の日本企業の不正とかには正直驚くことも多いです。これも生産性を重視するからでしょうかね。普通はありえないことです。


 個人的に一般社会の消費が多すぎるとは思っています。慌しい社会を生み出してストレスが溜まり、それの発散のために消費を行い、またストレスを溜めながら生産を続ける。まさに悪循環ですね。


 人間というのは強い生き物です。順応力があります。ただ、私たちはその限界を超えて活動させているので「身体って脆いな」とか思ったりしちゃうわけです。視力が落ちるのは画面の見すぎですし、体調を崩すのは身体を使いすぎて抵抗力が落ちるから。こう考えると、無理にがんばればがんばるほどマイナスになっていくような気もします。


 結局は人間の願望、欲望が強すぎることが原因になっています。人間が生きるうえで必要なものはあまり多くはありません。それは実際にそうした生活を送ってみないと理解できないことかもしれませんね。


 人の社会はそれに気がついていますが、一度生まれた固定観念がやめることを許さないのでしょう。続けていくと誰しも頭が固くなってしまうもの。実は社会を変えるのはそう難しいことではないのですが、そうした固さから脱却するのが一番難しいのです。


 思想や思念というのは生き物なので、沈滞すると長年雨ざらしにした窓枠のように、汚れやゴミが凝り固まって簡単には取れなくなるからです。



 こんな話をするのも、私が昨日一日かけて描いた絵をボツにしたからです(。>ω<)。しょうがない。駄目なものは駄目です。さっと見限りました。


 こういうとき「一日を無駄にした」という考えではなく、「その一日が本当の一枚のための肥やしになった」と考えるほうが得策です。というより、それが事実です。


 こないだラナーとホウサンオーを描きましたが、正直まだ「熟してないな」と思いました。キャラというものは積み重ねれば積み重ねるほど成熟していくものです。キャラの内面は少しずつ開拓されていますが、絵の点ではあれが初めて。なので、まだまだ熟れていない青臭さを感じます。熟れさせるには、三年~五年、十年~と必要でしょう。


 これは一枚絵でも同じです。さっと描けるときは描けますが、新しいことを表現しようとすれば何かしらの課題が生まれるもの。そこに真剣に向き合えば時間がかかるのは自然なことなのです。それを無駄と考えては新しいものは生まれません。


 こうしたものは生産性とは逆の性質を持つものです。生産する場合は、いかに質を保つかが重要になります。特機は限界まで色々試すものですが、量産されるときは安定性を重視するものだからです。


 前に修道女が服を編んでいるシーンがテレビでやっていて、一枚一枚に相手を想って祈りながら編んでいるから美しいのだ、というのがありました。まさにその通りだと思います。これは大量生産においても重要なことです。この一つ一つが誰かのためになるのだと想ってやれば、それは価値ある仕事となるのです。


 そんな感じです。
 ではまた!









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