園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

昔に比べて距離が近い

 最近常々思いますが、すべてのものが距離感が近い気がします。私は昔からファンとかユーザーの人とあまり交流を持ちません。まあ、即売会とかもほとんどいかないので(参加しても違う人に売り子させていたので)、もともと会わないというのも原因です。ネットでも交流は最低限といったところ。そのおかげでSNSもあまり好きではなく、今では何もやっていないという状況です。


 前から疑問で、どうしてこんな感じなのだろうと思っていたのですが、最近ようやくわかってきました。それは、知らないほうが「ときめく」からです。


 人間という生き物は、好きな存在をより知りたくなる生き物のようです。のようです、というのは、私はあまりそういう傾向がないからなのですが、一般的にはそうらしいです。が、人間というものは知ってしまうと飽きてしまうもの。知らないからドキドキ楽しめるのであって、知ってしまえば「なんだ、こんなものか」と飽きてしまうのです。


 怪談話だって、幽霊のシステムを知ってしまえば何ら怖いものではなく、もはや失笑もの。「チーッス! 低級霊のみなさん、お疲れ様です!!」くらいにしか思いません。でも、知らない人からすれば、ひやっとする実に楽しい時間です。


 私は好きなものができると、無理して調べないですし、接触しようとしません。それは今述べたように、ずっとドキドキしていたいからです。たとえば、昔は今ほど情報がない時代で、ゲームや声優さんの情報だって雑誌で知るしかありませんでした。だから毎月出る雑誌などは本当の楽しみでした。それが今ではツイッターやブログ、その他のSNSで簡単に知ることができます。


 なんかね、距離感が近いんですよね。馴れ馴れしいというか。


 まあ、それはいいんです。誰かを特別扱いするなんて馬鹿げたことです。が、北の将軍様にも学べることはいくつかあって、自身を神格化したいのならば私生活の情報をあまり出さないほうがいいのです。


 人間には知りたいという欲求があって、でもわからないからこそミステリアスで、ますます知りたくなって、でもわからないからもっと気になってファンのままでいる。それはある種、恋する乙女のままでいたい欲求なのかもしれません。アイドルが結婚していることを隠すのと同じでしょうか。


 個人的に声優さんも顔を出さないほうがいいと思っています。せっかく声で世界を生み出しているのに、よけいな情報が多くなって世界が薄れてしまいます。これはドラマに出ている俳優や女優さんが、その間のCMに出ることでドラマのリアリティが薄れることに似ています。「おいおい、今死にそうじゃんか。それがドリンクのCMかよ!」という感じです。


 けっこう前ですが、ドラマで演じた人物が死んだのでそのまま俳優を辞めた人や、そのまま死んでしまった人がいたような気がします。当然そこまではしなくてよいのですが、最低限の露出度、距離感というものがあるとは思っています。


 今の時代はそこの距離感がどうしても近いので、逆にかわいそうだなと思うわけです。私が子供の時代よりもワクワクしないでしょうからね。これはすべての分野がそうで、昔はどの世界でも他を突き放したトップ、巨匠とかが生まれたのですが、距離感が近づいた結果、一人だけ突出した人間というのはいなくなりました。まあ、それも幻影なので、なくなったのはよいことかもしれません。


 逆にメリットもあります。述べた通り、誰であっても特別扱いしなくてよいことです。その結果として「ああ、そんなの自分でもできるわ」というように、誰もが同じラインに立って活動できるようになりました。壁が薄くなったので、お互いの距離感が近づいて萎縮しなくなったのですね。


 最近よく市販のコンシューマゲームでも「すごい同人臭がする」といわれるのは、それだけみんなが気軽に関われるので、同人業界のレベルが全体的にアップしているからです。これもプロ・アマの違いが薄れた結果で、お互いの流通が活発になった結果です。また、アマ(本業ではない人)のほうが凄い場合も増えて、境目が曖昧になっているせいです。


 今後、どういうスタンスでやるかはそれぞれだと思いますが、まだこうした技術は生まれたばかりです。百年、二百年経っているわけではありません。ですから、距離感が近づいたことによる弊害が多く見受けられますね。たとえるならばストーカーというか、SNSで有名人に親しく話しかける人とか、それによって身近な存在になりすぎるとか、まあいろいろあるでしょう。若い人に馴れ合いが多いのも、そうした結果かもしれません。


 究極的には、そうしたものを剥ぎ取って、本当の自分を見つけると人は幸せになります。今の私はだいぶその段階に近づいていて、毎日が非常にゆったり流れています。世間では人の目を気にしたり、社会の常識という誤った常識を信じている人も大勢います。それを見て、ああ哀れだな、と白楼さんばりの台詞を心で思いながら、今日も作品を作っています。


 私にできるのは伝えること。作品を作ることだけですからね。少しでも自分の作品で人の価値観を正せればよいとは思っています。まあ、それ以上のことは望んでいません。仮に影響が小さくても気になりません。所詮、一人の人間ですからね。それくらいがちょうどよいものです。


 ではまた。









×

非ログインユーザーとして返信する