園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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創作意欲が止まらない(落ち着こう)

 絵の仕事が始まるときは、たいてい小説にも疲れていて息抜きがてらになるのですが、八月はほぼ全部が既存のものの修正に従事したため、どうにも創作意欲が騒ぎ出して止まらない状況にいます。ああ、作品が作りたい。もっともっと自分の作品が作りたい! そう疼いています。


 ほんと自分はワガママな人間だと思うのですが、とことん自分の作品と向き合いたいです。それはまさに自分の人生と同じ。とことん自分自身と闘い続けるという修行僧の生き方です。というより、楽しくてしょうがないのです。どんどん意欲が湧いてくる。どんどんやりたいことが出てくる。それを一つ一つ終わらせていくと、人生なんてあっという間に終わりそうです。


 が、こうした欲求を自分が望むように好きなだけとことん、というのはありえないことのようです。たとえば神は、この地上に優れた霊と劣った霊を同時に住まわせています。それによって優れた人間は、進化の遅れて足手まといになっている人を助ける必要性が生じ、結果的にどんどん先に進みたいところにストップがかかります。


 これは全体のバランスを取って、一定の枠組み内に抑えるという神の法によるもの。両者に差が生まれすぎないように調整しつつ、全体を押し上げる叡智であるそうです。なので、私も自分の世界にだけ入り浸っていると世界が狭くなるように、嫌でも違うものに触れないといけないわけです。ええ、創作意欲が燃え立っているときは、相当しんどいですが・・・


 とはいえ、年々少しずつ足枷が消えていっているのは間違いないです。これは本当に面白い現象です。本当に少しずつ楽になっていくのです。もちろん、苦痛を味わいながら成長するために生まれているわけなので、成長すれば今までの枷が必要なくなるのは道理ですが、今まで散々縛っていたものが消えると、驚くべき解放感を得るものです。


 今、こうして作品を作りたいと猛烈に思う現象も、もとはといえば個性を押さえつけられた過去があるからこそ。その反動が今の私を支えています。人が高く跳ぶためには、深く沈まねばなりません。うーん、この神の法の流れといいますか、周期的な強制力にはいつも驚かされるばかりです。個人的には嫌な時もありますが、結果としてはそのほうが良いことが多いです。もともと人間の霊は、神にそう創られているので仕方ありませんが。造物主には従うしかありません。


 今日は絵のリハビリをしながら心を落ち着けることにします。



 全然関係ないですが、朝起きてベッドの上でぼけーっとしていたら、ベッドになんか大きい虫がいて、足に突撃してきたので捕獲して外に放流しました。寝ぼけていたので何の虫かわかりませんが、けっこう大きかったです。ゴキブリではなく、砂色っぽい感じですね。わさわさと前進する速度がそれなりに速かったのですが、雰囲気的には昆虫系のような・・・それとも蜘蛛? いや、蜘蛛っぽくはなかったですが・・・。


 どうでもいい話ですね。ただ、ベッドの上に虫というシチュエーションが久しぶりでした。私はあまり虫が気にならないタイプで、邪魔しなければ放置する感じです。特に蜘蛛は大好きで、できれば常駐してダニなどを食べてほしいところ。蜘蛛は基本放置していますが、そのうちいなくなりますね。不思議なことに。


 今は去年買った虫アミがあるので、室内に入ってきた(!?)カナブンとかはよく捕まえます。部屋を暗くして瞑想していたら、突然ブーンという音がして、さらにカナブンが蛍光灯にぶつかって「ばっちばっち!」という激突音がしたので、最初相当びっくりしました。カナブンの羽音って、相当大きいです。暗くて無音状態だと、小型の扇風機くらいに聴こえます。これも捕獲して放流しました。


 また思い出しましたが、かなり昔のこと、昼食を食べていたら知らずのうちに肩にカマキリが乗っていた、ということもありました。歯を磨くために鏡を見たら「よっ、元気か?」という感じで、私の左肩にカマキリ(巨大)が乗っていました。あれも相当驚きでした。これも捕獲して放流しました。


 駄文でした。ではまた。











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