ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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イラストレーターとは何なのか?


イラストレーターって何なんだろう?


これはイラストレーターになってからずっと考えていることで、
仕事をするたびに何度も悩んできたことでもあります。


私はイラストレーターになってまだまだ日が浅いですから
まだこれだという明確な答えがあるわけではないのですが、
ずっとクリエイターとしてやってきた経験がありますので
一応自分なりに思い至ったことはあります。


そうこれをまた思ったのが、年末にドラゴンクエスト三十周年記念として
NHKで特番がやっていたからです。



ドラゴンクエスト30th ~そして新たな伝説へ~ 2016.12.29


これですね。


そこで鳥山さんの仕事ぶりなどが紹介されて、
「ああ、鳥山さんくらいの人でも苦悩しているんだな」
と思ったのがきっかけでしょうか。


私自身、イラストレーターという仕事について無知でしたので、
最初やり始めて困惑したことが山ほどあります。
まず第一に当たり前ですが自分の思い通りにはならない、ということ。
これにも程度があると思うのですが、ある程度自由があるものから
まったく自由がないようなものまであるわけです。
後者の場合は自分が何で絵を描いているのかわからなくなることすらあるという、
非常にデリケートな問題にも発展していきます。


たとえば、番組では鳥山さんのこだわりとして「このほうがいい」と主張する場面が良い意味で捉えられていました。


そうなんです。
実はこれ、私程度がそれをやってしまうと「言うことを聞かないやつだ」として
次から仕事が来ない
、という状況になるのです。
鳥山さんというネームバリューがある人だからこそ好意的に捉えられるのであって
普通の実績のないイラストレーターではこうはいきません。


他のイラストレーターを観察していても、同じ状況が多々あります。
「こっちのほうがいいと思うのに・・・」と言っている人ばかりです。
誰しも自分に好みがあり、好きなものがある。これは当然のことですね。
そして、自分の好きなものを貫いてきたからこそ、原動力となって
それが絵の魅力として表現されてある程度人気が出る、という形になります。


そこで、イラストレーターとしてはどうすればよいのか。
私は特に個人鑑賞用の絵をけっこう担当しています。
単純に普通の絵よりお値段の割りが良いので、生活のために描いていました。
この場合は極端かもしれませんが、相手の要望が100%なんです。
自分の意見より相手の願望をすべて満たすことで相手は満足感が得られ、
日々のストレスの解消まで行うことができます。


これはあらゆるサービスの原型となるものです。
車にせよ生活用品にせよ、あるいは接客やその他のものにせよ
「もっとこうしたい」という欲求が言動になって
新しいサービスや商品が生まれていきます。
言い方は悪いですが、個人鑑賞用とかは風俗のようなもので、
ひたすら自分の欲望を満足させることで対価を払う、というシステムになっています。


私は今まで自分の理想を求めて作品を作ってきたので、
最初はこれが本当に不快でした。
相手の欲望を形にするのは非常にしんどいものがあります。
これが素晴らしい理想を描くならばまだしも、だいたいは低俗な欲求です。
はっきり言えば最高のものから最低のものに落ちた気分でした。


絵というものは道具であり表現媒体です。
たとえば人間にしても、肉体は魂の表現であって本体ではありません。
霊魂の状態が物的世界に反映されると、こういう形態を取る、ということなのです。
ですから、肉体からでも魂の悪い部分や良い部分が見えるのです。
見ただけで「あっ、この人はここが悪いな」とわかるのは、魂の表現だからなのです。


それと同じく、絵とは内容の表現です。
何かの内容に形態を与えるものであり、
音楽でいえばメロディ、曲の部分であって着飾るものとなります。
その本質は何を訴えているか、作詞部分のほうがより本質に近いものとなります。


イラストレーターの仕事は、形態を与えることなのか?


これは非常に難しい問題です。
ただの道具であることはそんなに難しいことではありませんが、
それが自分にとって意味のないものの場合、けっこうしんどい。
なぜかといえば


絵とは自分の分身だからです


自分自身を穢されているような気分になってしまうのです。
ここに作品と道具の微妙な差異が存在しています。
ですから、クリエイターやイラストレーターが気難しい、
扱いにくいと感じるのは至極当然なのです。
誰もが自分自身を変えたり、望まぬ形に変化させることは嫌なのですから。


さて、一方で人間は多様な経験によって成長していきます。
たとえば自分が今までやらないことに挑戦することによって
絵の幅が広がっていき、深みが増していきます。

単純な画力だけではなく、深み。自然と絵に経験がにじみ出るのです。
だから技術的には未熟でも光るものがあるわけです。
絵とは、その人自身なのですから。


では、イラストレーターとは何なのか。
作品づくりとはどうあるべきか。


一番良いのは、個性を認め合うことだと私は考えています。
お互いの個性を認め合い、その中で融合していく。
これがまずベストなのは間違いありません。
お互いに高めあい、より良いものを作っていく。
クリエイター同士の調和と激しい熱量によって生まれる芸術です。
が、たいていにおいてこれは難しい。


では、イラストレーターとは何か、というよりは
自分にとってイラストレーターとは何か、と言い直しましょう。


私にとってイラストレーターとは自分の破壊でした。
誰しもそれまでに培った固定観念というものが存在します。
現在の社会においてはそれが顕著で、人々の頭はガチガチに固くなっています。
こうしなくてはいけないという考え。
それが正しいならばともかく、今のところ生活にせよ宗教にせよ
間違った観念ばかりが凝り固まっています。


そんな中でイラストレーターという仕事は、自分を常に変化させるものでした。
ただ、そこで学んだものの中で一番の悟りは


どんな形状になっても自分の個性は失われない


ということでした。
何度も考えてたどり着いた答えです。


自分が自分だと思っていたものって、実は自分を構成する大切な要件ではないのです。
みなさんも子供の頃と比べて趣味や思想はだいぶ変わっているはずです。
それでも自分は自分として変わっていないはずですが、
変わってしまった部分だけを見れば、まさに別物に見えます。
それを見て愕然としても、個性は個性で有り続けているはずです。


むしろ、安定とは変化の中にあるのです。
よく何も変わらないことが変化だと勘違いしている文言が世の中には見られますが、
もしそうだとすれば進化とは何なのかもわからなくなります。
躍動し、常に変化し続ける。その中で進化するからこそ安定が生まれています。
運動エネルギーが回転を続けている時が一番安定するのです。
それが弱まってふらふらしているときが一番不安定です。


世の中にリズムや変化があるのは、その人が変わるため
もっと言えば、さまざまな経験を積んで深みを増すためです。
私たちが地上に生まれてくるもの、霊の体験を蓄えるためです。
一人ひとりが巨大な霊の体験の一つとなって、霊全体として進化していくのです。
それがどれだけ変わっていようと、その体験なしに進化は得られません。


さて、これをイラストレーターに戻すと、
たとえ自分がまったく望まぬ形になるにせよ、自分の好みになるにせよ、
自分の個性はいっこうに変わらないのです。
となれば、自分と違うものに触れるほうが実は有意義です。
鳥山さんの話にしても、「実際はこうならないから、こっちのが・・・」と言ってもいいですし、
逆に「ゲームなんだから、もっとありえない形のほうが楽しい」と思うのもいいわけです。


私は後者のほうがより固定観念に囚われないものができると思います。
その意味で相手の願望に100%応じることも自分の引き出しを増やすことになります。
これを自分で学んだとき、ちょうどNHKのプロフェッショナルを見て
誰もが同じような経験をしているのを見て、ああ、やはりそういうものかと思ったことがあります。


もちろん何度も言っていますが、
お互いに意見を出し合ってより良い方向を目指すのが基本です。
私も駄目元でいつもいくつもの案を出すようにしています。
だいたいは駄目ですが、稀に「なんでこっちを選んだんだ?」というように
相手の意見が変わることがあります。

相手の要望を満たしつつ、別の案を出していく。
これが私のスタンダードなのですが、これもまた相手がこちらの影響を受けたことになるわけです。


こうして互いに影響し合って人は生きています。
結局は、自分の意見や好みなんていつ変わるかわからないようなものです。
重要なことは芯の部分をしっかりさせること。


信仰、道義心、倫理、正義、愛


こうしたものを自分の中にしっかりと宿しておけば、
何をやっても変わらないのです。

なんとなれば、違う職業になっても中心の部分である人格は何も変わらず、
継続して向上し続けるのです。



といっても、心情的に難しい気持ちはわかります。
自分を変えるのは誰もが怖いことで嫌なことですから。
でも、そういう嫌なことを通じて、人は成長していくのです。


で、この題名であるイラストレーターとは何か?という問いですが、
あくまで私にとってですが、


多様性を受け入れ、自己の形態を破壊するもの。
それによって深みを増し、個性を高めるもの。
そのうえで理想と思想、芸術を生み出すための表現方法の一つ。


といったところでしょうか。


ずっと自分の作品だけをやってきた私にとって、
イラストレーターとは多様性を知る場所です。
時には嫌悪するような未知のものに出会いますが、それもまた経験。
一度知ってしまえば次第に慣れて嫌悪も薄れていきます。


これこそまさに多様性が可能にする人の成熟です。
今の世の中は保護主義の台頭とか言われていますが、
そんなものは一過性のものにすぎません。
人間が多様な文化を受け入れていくには、まず自分自身という偏狭な殻を破らねばならないのです。
それが私にとってはイラストレーターだったにすぎません。

何でもやってみろ、というのが答えですね。
霊というものはすべてに精通しなくてはいけません。
いつかそれ以外のこともすべて経験するので、あくまで一つの形態にすぎないのです。
これがどんな職業であろうと、同じようなことを経験するようになっています。


鳥山さんも、「主人公みたいな素直なキャラは苦手」と言っておられましたが、
苦手だからこそ挑戦する機会が与えられるのですね。
むしろ自分の作品を作ってきた人だからこそ、苦悩は私などよりはるかに強いかもしれません。
だからこそ価値があるのです。


まあ、人によっては自分の絵柄を貫くのがイラストレーターの本分であると言う人もいます。
それもそれで正しいと思います。
これもまた自分という固定観念を破壊して、あらゆる形になっても自分は自分だと悟ったからこその余裕です。
なんとなれば、べつに絵を描けなくなってもその余裕は消えないのです。
それはあくまで形態の一つにすぎず、一番大切なものは何も変わらないと知っているからです。


みなさんも環境に不満を感じているときは、自分が新しい力を得るチャンスだと思ってください。


世の中の不公平とは、さまざまな才能を開花させるために配置されているのです。



では、また!!







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