園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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父親の大動脈瘤の話

父親がレントゲンで影が出たので共済病院で検査したところ

大きめの大動脈瘤があるようで手術するようです。


さて、こうした病気というのは実はありがたいものなのです。

うちの父親は人間としてかなり怠け者でして、

仕事をやっていた頃は真面目で、まあ、真面目だけがとりえみたいな感じでしたが、

基本的に何もしない人なんです。

仕事を辞めてからはずっと家で寝ながらテレビを観ています。

運動もしないし医者から止められているタバコも普通に吸っており(それで前に脳梗塞になりました)


本当にそうなんです。

歩けるのに一日ベッドの上にいてテレビを見て、本当に何もしないのです。

さらにその延長でこうしてまた病気になったようです。

そういえば前は大腸がんにもなっていましたね。

これでは病気にならないほうがおかしいので、当然のことです。


そもそも病気というのは、霊と精神と肉体の不調和から起こります。

食べ物でなる大腸ガンでも、そうした食物を摂取してしまう精神が原因なんです。

何かをやめられないというのも精神的弱さや習慣が制御できないことが原因です。

思考や感情もそうで、チャクラの流れが臓器とつながっているんです。

ですので、特定の悪感情を抱くとこの部分が悪くなる、という傾向がちゃんとあります。


で、こうした病気はもちろんこうした異常によって起こるのですが、

病気はその人の問題点を浮き彫りにしたり、愛を学ぶためのレッスンとして起こります。

もし病気にならねばどうなっていたでしょう。

苦しみや挫折、痛みがなければ普段過った生活をしていても気がつきません。

つらい思いをするから相手の気持ちがわかったり、過去を振り返って

自分を戒めようとします。そうでなければずっと同じ生活をしてしまいます。


この世界は愛によってできています。

愛を学ぶために神様が用意した世界です。

地上の管理を地上の人間に任せていますので、間違えることはできます。

管理者としての責任を放棄して庭を雑草だらけにすることができます。

自分の身体もそうで、健康にすることも病気にすることもできます。

また、健康にするやり方を学ぶために失敗(病気)が必要になることもあります。

そのすべては愛に通じています。

人の過ちすら神は愛を学ばせるために利用するのです。法則を用いて。


また、霊の書などを見ると、生死に関わる危険な目に遭ったりするのは

そうした危機を感じさせて、残り少ない人生に活を入れることを目的とする場合があるようです。

この世界は学びの世界であって、老後だろうが常に学んでいく必要があります。

なぜならば、幽界での生活に備えての準備の世界ですし、

それまでに霊的知識を得ておかないと非常に多くの手間がかかるからです。

それで霊界側も困っているわけです。

無知な人間が来るたびに再教育しないといけない。

たとえるならば、中学校に入学したのに掛け算もできない子がいれば、

また九九から押しえねばならないのに似ています。

それは小学校の科目であって、中学校でやるのはまさに無駄です。

場合によってはまた小学校(地上)に送り戻さねばならないこともあります。

それが再生というものの一つの側面です。


このように病気には非常に多くの価値があります。

すべては愛のレッスンである。

そして、この世界は完全に神によって制御されている。

これが重要な点です。


うん、私もまた進化していますので、こうした状況はまったく気にならないですね。

むしろ穏やかです。

そうそう、海のポスターを買ったんです。

波の音も日々聴いておりますので、これでようやく南国気分で毎日が過ごせます。

そうですね、こんな気楽だと薄情にも聴こえてきますが、

神というシステムに対する理解が深まっていくと、べつに何も気になりません。

なにせ突き詰めてしまえば人間なんて自分のことで精一杯なわけです。

仮に私が病気を治すヒーラーならば話は別ですが、

そうでないのならば日々を幸せに過ごしておくのが一番です。


これにも理由がありまして、不安や恐怖を抱えると霊からの援助が滞るのです。

私は日々成長していく中で、雰囲気というものが実感としてわかるようになってきました。

自分が重苦しい雰囲気を持っているときは、本当の壁のように感じるのです。

「うわっ、たしかにこれじゃ背後霊は近寄れないわ。自分だったら嫌だもん」

と思いますね。

特に不安や敵意などの悪感情は非常に固くて重苦しいです。

普通に生きていても状況は変わらないのならば、

より援助がもらえるほうを選ぶのは至極当然のこと。

援助は物的援助にもつながるので、どうせなら得なほうがいいですよね。


改めて気がつくのですが、


恐怖や不安に日々襲われている人は、恐怖や不安が好きなんです


だから自分で引き寄せています。

しなくてもいい不安な会話をしてまた自分で不安になるのです。

これはナポレオン・ヒルが言っている


貧乏な人は貧乏が好きなのだ


というものと共通しています。

否定するでしょうが、本当に否定できる人はいないはずです。

心から抜け出そうとしてあらゆる努力をするのならば

そうした状況は抜け出せるはずです。

同様に病気も自分の意思でいくらでも治すことができます。


日々思考を制御し、感情を鎮め、常に美しいことを考え、

語る言葉は少なくかつ建設的で前向きで、

すべての行動が人と社会のためにつながるように努力する。

そして神を愛し、祈り、守護霊との交わりを深めていく。


こうしていれば何も怖いものはありません。

時期がくれば神が導いてくれます。


悪いことも考えないといけないと思っている。

これは大きな勘違いです。

困難に立ち向かう必要はあります。が、それはあくまで挑戦としてです。

心が常に神を捉えているならば不安は起こりません。

「難しいな。どうやってやろうかな」とは思っても、とても冷静なのです。


思考を制御するのは難しいことです。

でも、何にしても努力が一番。こうした感情の制御も不断の努力によって統制していくのです。

私もまた日々努力してこうして不安を打ち消すことができるようになりました。

といっても、まだまだですが。死ぬまで続き、死んだあとも修行。

人は永遠に修行です。



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