園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

自分を楽しむ

今日は休みでしたので、自転車に乗って散策です。

クロスバイクなのですが、前カゴが欲しいなーと思いつつ

さほど使用頻度が高くないので100円ショップで適当に買ったのはいいものの

やっぱり小さすぎて小物しか入りませんw

いや、これ以上大きいのもあったのですが、色がね・・・

ビビットカラー系なんでさすがにオッサンが使うのはどうかと・・・!

結局買い物袋はハンドルに引っさげて帰りました。

あれ? もしかしてカゴいらない? などと思ったのは内緒です。


それと昨日書き忘れたのですが、

好きなものを集めようというタイトルで、好きなものが海と言ったわけですが、

当然海を持ってこれるわけがありません。

そこで海のポスターを買おうと思っております。

部屋を自分の好きなもので埋めたいわけです。

大きくて綺麗なものがあれば心もいつも晴れやかになるでしょう。

が、色々とありすぎて迷ってまだ注文できておりません!(。>ω<)

だってどれも素敵なんですもの。

二時間くらい悩み、まだ悩んでいるので後日に持ち越しです。


毎週水曜日はHPや絵本にあてようと思っており、

とりあえず最初にやらねばならない「ぷるっと企画.com」をオフラインで改装中です。

実はこれ、昨年の夏ごろからやっていながら忙しくて放置されていたので作りかけです。

改めてみると、ごちゃごちゃありすぎているので、すぱっとシンプルにしています。

うん、まあ・・・余計なものができるだけないようにしたほうが見やすいかな、と。

少しずつしか進めないですが、遅くともぷる汁4の販売には合わせます。


と、こんなふうに日々楽しいことをずっとしています。

仕事そのものが楽しいですからね。


より正しく言えば、自分で楽しくしているわけです。


最近気がついたのですが、やっぱりすべては環境なんです。

その環境を改善するために常に楽しみながら考える、これです。


たとえば嫌な仕事があるとしましょう。

あなたはどうしてもそれが嫌だ。

しかし、その嫌という要素を考えていくと、何が嫌なのかが見えてきます。

私でいえば、誰でもそうですがやり直しとかリテイクは嫌ですよね。

普通だと「ああ、嫌だな」と思うのですが、さらに考えていくと

「意思疎通が迅速でないこと」「またPCをつける手間が面倒」などに行き着きます。

そうなんですね。思えばやり直すこと自体はべつになんともないことです。

絵を描くこと自体は簡単なものですからね。

問題はその手段が手間で嫌なんだということがわかってきます。

意思疎通の問題は地上にいる以上は仕方の無い部分がありますが、

このデジタルが発達したご時勢では案外なんとかなるものです。

私もスマホを手に入れてずいぶん楽になりました。返事も即座にできます。

もちろんタブレットでやれていましたが、ワイファイの電波がギリギリなので

そのおっくうさがあったわけです。

それが取り除かれた時、今まで嫌だと思っていたものがそうではなくなりました。


なので、もし嫌なことがあれば何が嫌なのかを考えてみるといいでしょう。

嫌だと思っていることも実は相手の問題ではなく自分の問題であると気がつきます。

上司と合わないなどは非常に難しい問題だと思いますが、

実はそれも自分の受け止め方が変わるとまったく違う状況になるのです。

未熟すぎて困った人というのは実際いるものですが、

そうした人と接して怒ってしまうのならば、あなた自身に余裕がない証拠です。

心の中に真の富を抱くことができれば、「おやおや、彼は余裕がないのですかな」と

ブルジョワ(死語?)のように対応することができます。


また、そうした相手を観察していると、


今自分が困っていること、悩んでいる事柄で相手を攻撃することが多いのです。


これはもう頭の中がそれで一杯なので、自分と相手がまったく違うことを忘れて

相手に対して自分の価値観を当てはめてしまうわけです。

お金に対して心の余裕がない人は、生きるのに十分なお金があってもイライラします。

そして、他人に対して「月50万以上は稼がないと社会人じゃない」とか言ったりします。

でも、それって限度がないんですよ。

今度はその上の人から「たかだか月100万も稼げないのかね、チミィ」とか言われて

また心の余裕をなくすことになってしまうわけです。


言い出したらきりがない


ならば放っておけばいい


のです。

実に簡単な理屈です。


それともう一つの要素がありまして、

たぶん多くの批判はあなた当人への言葉じゃないです。

これも重要なことなのですが、

そうですね、私も何か知らない人から書き込みがあったりして、

それが変な内容というか、意味がよくわからないことがあったりします。

すると、「ああ、この人は別の誰かに怒っているんだな」とわかります。

しかも過去の出来事に対して怒っているのです。


私が常々過去に縛られないほうがいいと言うのは、こうした理由もあるのです。

仮にあなたがニュースやワイドショーで誰かの行動に怒るとすれば、それは違う誰かとの過去の出来事に怒っている可能性が高いです。


その記憶がフラッシュバックしてきて、「そうだ、けしからん!」とか思うのです。

でも、実際は関係ない人ですから言う権利も言われる筋合いもないわけです。


そんなの馬鹿らしいと思いません?

もし理屈を出してしまえば、じゃあこの宇宙を作ったのは誰なんだ?になります。

それはもう神しかいないわけですから、神がこの環境を与えている以上

我々は他人に何も言えないことになります。

お金はもとより、空気や大地、我々の肉体すら神が維持しているものですから。

すべては神が与えているもの。

そして、神というシステムは巨大な愛と進化のシステムである。

この理解が深ければ深いほど心配することがなくなります。

それこそがもっとも重要な点です。


と、そうした話をするのは、自分を楽しんでほしいからですね。

悩みがあると人は休みの日でもそれで頭が一杯になります。

これは本当につらいことですよね。私だって今まではそうでしたし、

今後大きなことが起こればまた悩むでしょう。

でも、自分の好きなことに囲まれているとそのことで頭が一杯になります。

そうした楽しい時間は大切にしてほしいのです。

いや、できれば日々仕事をしている時、相手が何か怒っているときでも

自分の心は美しい世界で満たしてほしいのです。


真面目な人ほど考え込まないといけないような気がしてしまうもの。

真面目な私?もそうでした。

けれど、思えばそんな義務なんてないわけです。

そんな法律があるわけでもないし(あっても無視しますが)

神が決めたわけでもないですから、放っておいていいわけです。


ぜひ、みなさんも毎日心豊かに生きてください。

どうせ悩むなら「自転車のカゴどうすっか」「あの棚をどう改造しようか」

「やべ、海のポスター決まらないよ」とかで悩むと幸せになれます。



ではでは、また!!!


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