「性」を受け入れる。
久々に同人誌を描こうと絵の練習をしていたとき、またちょっと気づきました。
昔から描いているせいか、アダルトに対しては抵抗がまったくありません。アダルトの絵なら何も考えずとも描けるわけです。
あれ? これって才能なのかな?
と。
まあ、中学生(小学生後半)からパソコンパラダイスを読んでいたくらいです。もともとエロゲーを目指していたので長年やっており、それ自体は生活の一部として存在していました。
絵柄や画力はともかく、普通に描けるというのは、やはり才能なのでしょう。好きでエロを描いている人は同じ資質を持っているといえますね。
私の場合は、現実の私生活ではまったく性に関しては潔癖で品行方正です。その反動で、というか、昔は理想の女性を描くために絵を描いていた気もしますので、そうしたものがエネルギーとなっているわけですね。
また、ずっとアダルトでお金を得ていたこともあり、仕事の依頼以外で普通の絵を描いても「こんなもん見て楽しいのか?」と躊躇してしまうわけです。「同人=エロ」というイメージがこびりついて、もう離れないのです。
なので、これはもうすっぱり受け入れたほうがいいんじゃないかな、と思いました。
というのも、一時期アダルトが嫌になって離れたことがありました。絵はともかく、燃焼系みたいな話が作りたかったので、クリエイターとしてはアダルトよりも一般のほうに行きたかったからです。
ただ、燃焼系をいろいろと描いていくうちに、人生や生き様というものを学び、アダルト、より正確にいえば「性」が欠けている作品には命が吹き込まれないことにも気づいたわけです。
どういうことかといえば、世の作品の多くは一般とアダルトで分かれていますね。最近は特に顕著で規制も厳しくなっています。
がしかし、人間の生活から性を切り離すことはできません。
そんなことをしたら子供が生まれませんからね。受け入れるしかないことです。
なにせ物的な世界は神が造ったのであり、性は神の本質を如実に示す美しいものの一つだからです。増えようという欲求なのですね。これは半ば神によって強制されたものなので逆らうことができません。
ですから、性が欠けている作品はどこかいびつでつまらない。みなさんも見ていて何かが足りないと思うこともあるのではないでしょうか。もちろん、そこまで求めていない人ならば問題はないのですが、より濃密になればなるほど性は常に関わってきます。(だからこそ一般作品の同人作品が生まれ、人気が出るわけですが)
たとえば十二英雄伝などは戦記色が強いので、性をあまり描かずに表現することはできますが、そればかりだと作品自体が硬くなりますし、リアリティがでないことがあります。
一方のスレイブサーガは性に対してストレートすぎるほど向き合っていますので、人間の裏側の感情を含めて、全体としては軽くありながらも場面場面では濃密になることもあります。
ちょっと注釈すれば、アダルトやエロといってもさまざまなタイプと傾向性があって、その中でも多岐に分かれているのは周知の通りです。
私はどちらかといえば軽いほうが好きなので、その意味ではライト層ではあると思います。また、完全に性行為がなくてもよいと思うくらいで、性とはあくまで男女、陰陽といったものの対比の表現を示しているわけです。
どちらにせよ、自分が生み出すものには性が不可欠です。より魅力的に描きたいからです。
こんなことはもう十何年前から悩んでいて、いまだに迷っていたのですが、今になってすっと自分の中で受け入れる準備ができた気がします。
こりゃもうしょうがない。やるならとことんやるほうがいいだろう、と。
当然それ以外にも、私には違う才能もあります。丸く可愛い絵柄も描けますし、単純に元気を与えることもできますし、絵本だって描けます。それはそれで価値があり、仕事や作業としてはやれますが、いざ同人誌を描こうと思うとなかなか描けないのです。
不思議なことに今年の五月で40歳で、見事に不惑です。
四十にして迷わず。
なるほど、世の中はよく出来ているものです。先人たちの知恵とはすごいものですね。
私も自分の性質を受け入れ、堂々と正面からそれを表現していきたいと思います。それが幸せへの道であり、私自身の成功を意味するはずです。
と、いきなりですが、思い立ったので書いてみました(;^ω^)
今日は小説より絵のほうにウェイトを置いていたので、明日は小説を書いてアップしたいものです。
スレイブサーガのホテル編も、まもなく終わります。あと四話くらいかな? どこで切るかですが、四話か五話くらいなので、今月中にぎりぎり終わるかどうかって感じですね。
そんな感じです。ではまた!