園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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素晴らしい時間に感謝

 過去を振り返ると、今という瞬間に感謝ができます。


 作品に携わってかなり経ちますが、人生を思い起こしてみると、すべてのことが大きな流れのリズムの中にあることがわかります。すべての時期に意味があるのです。


 今に限っていえばスレイブサーガが一回止まって休息して、少しずつ連載再開しようとしているわけですが、この休みの間にいろいろ勉強できました。


 便利なことにYouTubeで歴史を教えてくれるので、国、文化、武将、その他の偉人や奇人の人生を見聞きしながら楽しんでおります。勉強というか趣味ですね。単純に歴史や伝記に昔から興味がありました。


 こうしたものは意図的に作品に還元されることもありますが、私はあえてメモしないで記憶させることを重視します。なぜかといえば、人間は一度見聞きしたことを忘れないからです。表面上では忘れていても脳にはしっかりと鮮明に記録されています。


 「このキャラの設定はどうしようかなぁ」と思ったとき、ぱっと思い出して役立ってくれるのです。その瞬間は「いいことを思いついたぞ!」とオリジナルの設定のつもりでも、無意識のうちに見聞きして記憶にあった誰かの人生を真似ているのです。


 これがまた面白い。改めて思い返せば誰々のエピソードだったなぁと思うこともあれば、まったく気づかず自分で思いついたと考えていることもあります。


 ですので、人生のすべての経験は知らずのうちに役立つのです。人間はそういう生き物だからです。



 スレイブサーガは二か月休止し、一番アクセスがあったサイトも退会してしまったわけですが、それはそれで価値があったと思えます。


 この作品、というか燃焼系小説全般がそうですが、非常に癖が強い。さらに霊的真理の話も多少曲解しながらもちょこちょこ入れているので、そこにはまた違った刺激もあるわけです。


 何をもって普通というのかは難しいですが、どうも私が見る分に世間一般では刺激的な作品は多くはないようです。肉体的な刺激はあっても、精神的・霊的な刺激が昔に比べて少なくなっている気がします。(主にライトノベル系ですが)


 これはおそらくネットの普及で裾野が広がった結果、知的・感性レベルの低いものが溢れたからでしょう。昔は選りすぐられた優秀なものしか出てこなかったので、相対的に悪いものも多く見られるようになったにすぎませんが、わかりにくくなったのは間違いないでしょう。


 いや、その分だけ読者の目が試されているのかもしれませんね。それはそれでいいのかもしれません。


 私の作品はどちらかといえば、普通の作品に飽きた人間に好まれる傾向にあります。これも前述したように、さして設定も練られていないものが溢れた結果、その味に飽き飽きしたのでしょう。


 安い居酒屋が乱立して味覚が麻痺してしまう人が多い中、もっと良いものを求める人もいるわけです。あるいは変わったもの、というべきでしょうか。チェーン店に飽きた人が個人店や創作料理に興味を抱くのに似ています。


 ちょっと私事ですが、以前「おいしい回転寿司がある」と誘われて某チェーン店に行きましたが、あまりの味の粗悪さに食べる気が失せて驚いたことがあります。周りではそれを美味しい美味しいと言って食べているのです。正直むなしくなりました。


 私はグルメではありません。特段味の良さがわかるとは思えませんが、誰だって本当においしいものを食べれば「これは違う」と感じるものです。あとはそこの境界線が人それぞれで違うだけです。


 そして、一度味を知ってしまうと、他のものはやはり味気なく感じてしまいます。その話から、仮にスレイブサーガ等の作品で刺激を受けた人がいたら、その刺激は必ずその人に対して何かしらの影響を与えます。


 もっと面白いものを探すきっかけになるかもしれませんし、もしかしたら霊的なことに関心を抱くかもしれません。どちらにせよ、何かしらの進化のきっかけになったのならば、それだけで存在した価値があります。



 私個人としては、人類が進化することを願っています。少しでもそれに貢献したいと常々思っています。


 では、どうすればいいのか?


 答えは簡単です。日本が良くなればよいのです。わざわざ海外に行く必要はありません。


 日本は世界の道徳的模範となるべき資質を持った国の一つです。ただ現在は、まださまざまな理由から消極的になったり、あるいは一時的に過激になったりします。仕方ありません。日本もまだまだ進化の途上であり、戦争からさほど時間も経っていません。


 日本が進化することは、結果的に世界が進化することであり、世界の進化は人類の進化であり、地球という星の進化につながります。星の進化は太陽系の進化であり、太陽系の進化は宇宙の進化でもあります。


 ですので、私が日本に生まれたことには意味があります。自分で選んだのですから当然ですが、そうした使命感も改めて感じる時期でもありました。


 まあもちろん、人間なんて本当にちっぽけなものです。しかしそれでも全大宇宙の一つを構成する要素です。人間一人の力は小さくとも、その積み重ねが大きな進化の礎になっていくのです。


 当然、あなたがたもその一人です。誰もが何かしらの役に立つために配置されています。私は私のやり方で、あなたはあなたのやり方でがんばればよいのです。



 余談ですが、やはり私はなぜ無限の愛と英知、神という存在が人間を作ったのかがいまだにわかりません。いろいろ考察はしていますが・・・所詮地上人程度の認識力と知識では理解はできないということでしょうか。


 これもさらに余談ですが、意外と周りの人々が思想というものについて何も考えていないことを思い知ることがありますね。自分が当たり前だと思っている常識、それもまた一つの思想であり宗教なのです。仮に現在の経済システムが正しいと思っていれば、その宗教の信者である、ということを意味しています。


 まあ、一般的には神が関わるものを宗教と呼び、それ以外を思想と呼ぶのですが、何かを絶対的に信じていれば、その人にとってそれが神なので、宗教と呼んでもかまわないでしょう。


 では、私にとっての神は何か。


 なかなか難しいものですね。絶対正義と言いたいところですが、世界の構造はそれほど単純ではなさそうです。シンプルなパワーや愛とも言いたいですが、シンプルさの中には無限の英知があるので、やはりこれも適切な言葉ではなさそうです。


 と、そんなことを考える時間がまた出来たのは嬉しい限りです。思考や思案は私の楽しみの一つでもあります。


 さて、この文章ではあえて「私」をそれなりに使ってみました。人間が一番使う文字が「私(一人称)」らしいです。当然ですね。誰もが主観的にしか物が見られませんから。


 ですから、第三の視点、あるいは多種多様な視線から物を見る目が必要なのです。


 私の作品では第三の眼として出ているやつですね。サザンアイズや三つ目が通るといった作品の影響もありそうです。


 そんな感じです。


 駄文でしたね。ではまた。





※クリエイター支援「Ci-en」





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