園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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言葉の危険性

常々疑問に思うことがあります。

どうしてみんな、そんなに他人にかまうのでしょう?

私はこれがずっと疑問でして、今も疑問です。


正常の他人への関心がどのくらいと決めるのは不可能でしょうが、

何事につけても無駄に興味を示しすぎだと思うわけです。

テレビにしても芸能ニュースとか何の価値があるのか理解できません。

芸能人の生活がどうこう言う前に自分を戒めるのに忙しいはずなので、

普通はそんな暇もないと思うわけです。


一番危険だと思うことは、

よく人の目の前で悪口を言ったりする人がいます。

ええ、いるんですよね・・・すごく。

私の周りでも自分の母親や友達にそういうタイプがいて、外出時はものすごく気を遣っていたことがあります。

だって、目の前で他人に喧嘩売ってるようなものですからね。

殴られてもおかしくありませんし、

仮にそうなったら「おまえが悪いよ」って言うと思います。

せめて相手が聞こえない距離に行ってから言ってほしいのです。お願いだから(つД`)


ただ、当人は悪口を言っている自覚はないんです。

ただ思ったことを言っているのです。

隣に私がいるので同意を求めているのだろうと思うのですが、

毎回フォローしていてヒヤヒヤしています。

だって何度か相手が睨んでいたこともあるわけです。

オーラで伝わっ てくるわけですよ。

刺々しい雰囲気がね。本当につらいです。

殴られてもおかしくないどころか刺されても文句が言えないレベルです。


やっぱりこれも病気なんだと思います。

自分が思っていることが一番だと考えていたり

他人のやり方を認めない人にこういう傾向があります。

あとは形式に染まりすぎている人でしょうか。

結局のところ心が言葉になっているのです。

心が清らかなら相手が嫌がることは言わないはずですからね。

これも自分の欠点に気がついていない状態です。

相手の欠点は見えても自分は見えないのです。



一方の私は基本的に他人には不干渉が美徳だと考えておりまして、

逆にかまいすぎないのが多少問題点でもあります。

べつに興味がないわけではなく、さっき言ったように暇がないにすぎません。

適度な興味を示し、ちゃんと相手の話に乗っていますよ。

カーネギーの本をリスペクトしておりますし、基本的に相手を楽しませることが好きですから。


とはいえ、最近自分がフリーダムすぎることに気がつきました。

紅虎並みにフリーダムなんだなと自覚が芽生えてきました。

逆に自覚がなかったのかと言われそうですが・・・

私は快楽主義者なんですね。

自分が気持ちいいことを好きなだけやって、それ以外にはあまり興味がないのでしょう。


そうですね・・・

私もたまに攻撃することがあります。

自分のプライベートな領域に土足で入ってくれば、さすがに攻撃する可能性があります。

わかりやすくいえば、自分が誰にも迷惑をかけず好きでやっていることに何か言われたら、ですかね。

まあ、逆に他人なら無視しちゃうのでいいんですが、ある程度近い間柄の人だと「面倒くさいなー」と思いますw

「他人のことを言う前に自分を戒めなよ」

とは思うのですがね。


私は個人というものを大切にしています。

これは相手に対してもそうです。

相手には好きなものがあって自分なりの考えがある。

ならば他人に迷惑をかけない程度に好きにすればいいのではないかと思います。

だからそこに積極的に干渉はしません。

干渉する時は常に100点、大賛成、全肯定って感じです。


指導とかの場合はちゃんと改善点を伝えますけど、

やっぱり常に相手を思いやるのがいいと思いますよ。

言葉の危険性を常に考えないといけません。

言葉は実際の行為と同じ力を持ちます。

むしろもっと直接的に精神に影響を与えます。

人を傷つけたりもできれば幸せにもできます。


そろそろ人類も言葉という精神の力に対して

もっと規律を覚える時代になったのではないでしょうか。

私は法律で縛るのは大嫌いですが、もし暴力を規制しているのならば、言葉の暴力も規制してもいいと思うくらい言葉は危険です。

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