ああ、しまった
ああ、しまった。昨日の更新(今日の日付)でサナが初めて人を殺したのに、そのあたりが滅茶苦茶あっさりしていて、特段触れていませんでした。
まあ、すでに魔獣を殺しているので、いまさら人を殺したところでたいしたことはないんですけどね。アンシュラオンにとっては魔獣も人もたいして変わらないですし。
・・・いいか、べつに。
ということで、裏社会編はあんな感じでどんどん人が(敵が)死んでいきますね。
そうですね・・・アンシュラオンはべつに善悪の区別がないんですよね。当人が言っているように「利益があるかどうか」「それをやって楽しいかどうか」が重要なので、相手がどうこうってのは二の次です。
相手が悪党の場合もあり善人の場合もあるでしょう。ただ、そこはどうでもいいという感じですね。あくまで自分がどうか、ということに集中していますし。
この場合、自分がやりたいなら善行だってやるわけです。その時の気分次第、という感じでしょうか。
作品ってのは、何でも自分の思い通りにできるわけですが、作者の肉体が物的社会に関わっている以上、どうしても影響を受けてしまいます。
ですから、何を描くのか、どう描くのか、そこに作者個人のいろいろなものが含まれるわけです。
私個人としては、意図的に敵を悪にはしたくないんですよね。
そうすると主人公が偽善者になってしまい、作品の展開や構成としては陳腐になってしまいます。
スレイブサーガの場合、アンシュラオンのほうが悪なので・・・敵のほうがまともに見えてしまうのがつらいところです。それを意図しているわけではないのですが・・・単に闘争を楽しみたいから、相応の相手を探したらマフィアだった、というだけで。
善良な一般人を殺してもつまらないですしね。抵抗してくれないと面白くないわけで。
しかしいろいろと作品を見ていますが、みんなヒーローになりたがるものですね。ちやほやされたいのかな?
私はあまりそういう欲求はないですね。むしろ目立ちたくないです。目立てば狙われるので面倒なだけです。
それより影で絶大な権力を持って、誰からも注目されないけれど、裏で操って誰かを闘争させて楽しむ、というほうが好きですかね。
自分で誰かの闘争劇、愛憎劇を作り出してそれを観賞する、みたいな感じでしょうか。
まさにアンシュラオンの傍観者版ですね。自分は痛くもかゆくもないので、安全な場所から他人が苦しむのを見て楽しむという「敵のボスキャラ」みたいなポジションが好きです。
まあ、アンシュラオンの場合は、自分も闘争を楽しみたいので、ああやって自分で動いていますけれど。それもまた彼にとっては遊びの一つでしかありません。
・・・思えば、作品を作っていることそのものがそうですね。自分には関係ないところで、彼らが本気で戦うのを見て楽しむ。うむ、実際にやっていました。
そんな感じです。
ではまた!
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「十二英雄伝」 小説家になろう