作品の目的
ふー、絵の仕事をしつつ、相変わらずまったりしております。
すっかりと小説を書かないことが普通になりつつありますね。それはそれで良い休息だと考えています。
私は常に最善を尽くしたいと考えているので、突然何かが変わっても何一つ後悔しませんし、何かあれば不要なものはすぐに捨てられる価値観を持っています。
この点は、前からずっと言っているように自己を確立する大切さでしょうか。完全なる自己、完全なる個があれば、周りがどうなってもまったくブレないで生きることができます。
ですので、良い価値観があれば、すぐさま古い価値観や慣習を捨てられます。
大切なことは、どちらが優れている思想かであり、特定の思想にすがることではないからです。より正しく、より優れており、より活気がある。これが重要です。
また、今回のテーマのように、その作品が何を目的としているかも重要です。
たとえばスレイブサーガは、私の欲求不満を解消することが大きな目的の一つです。自分が異世界でやりたい放題するための作品なので、その根幹だけは守らねばなりません。そうでないと作品そのものがおかしくなってしまいますからね。
その観点でいえば、今はだいぶ満足しているので、休むにはちょうどよい時期だと思います。
やはり欲求不満が溜まっており、怒りと激しい暴力性があってこそ魅力ある作品が描けるのです。スレイブサーガはそういう世界なので、私自身も同じ状態である必要があるわけです。
あとは単純に歴史を作るといった目的があります。これは燃焼系全般にいえることですので、いまさら説明の必要はないでしょうか。
今回はその点が若干問題になった感じですが、今述べたように仕方がないことです。
そうですね・・・仮に優れた立派な内容を書くのが目的の作品があったとしても、きっとそれは誰も見向きもしないでしょうね。
なぜならば、「人を愛しなさい」「道徳を守りなさい」「動植物を大切にしなさい」「霊魂は死にません」などと言ったところで、そんなことは昔から存在しているわけですから、仮に現在に必要だとしても、そのままの表現では受け入れることはできないでしょう。
なぜならば、真理とは自ら体験して得るものだからです。また、その真理を体得した人間が作るものには、何かしらのエッセンスが込められているものです。
ちょっと言い方は悪いですが、つまらない人間が何をやっても、出来るのはつまらないもの、なのです。
逆に、魅力のある人が作ったものは、どんなものであれ何かしら面白みがある、ということです。
作品はその表現手段、方法ですし、ある程度刺激的でないと印象に残らないものです。まあ、刺激的すぎても駄目なんでしょうけどね。
そんな感じです。
またしばらくまったりします。ではまた!