書けることを感謝して
人間ってものは、いつだって自分の環境に不満を抱えていて、それを改善するために努力することで進化していくわけですが、一方で現状に満足する力も必要です。
私が他人を観察していて一番思うことが、受け入れる能力が低いと不満や愚痴ばかりを言う人間になってしまうということ。これは哀れですし、迷惑なんですよね。
幸い、私は受け入れる能力が高いおかげで、「目的のもの以外」はあまり気にしないです。
目的のものってのは作品のことなので、それはいつだって不満を抱くものです。私もこの点に関してはまったく満足しません。
ただね、マンションの子が高卒で就職という話を聞くと・・・なんだかかわいそうになっちゃうんですよね。
両親が離婚して、母親と一緒に住んでいるわけですが、大学に行く余裕もないから選択肢は一つしかないわけです。大学生になってみたかっただろうなぁ・・・ということを想像すると、やはりかわいそうにさえ思えてくるものです。
一方、私は大学なんて行きたくなかったのに嫌々行かされたって感じでしたし、まだまだ満足していないのでこうして好き勝手創作生活を送っています。
それを思うとね・・・人生ってやつはいつだってままならないんだな、としみじみ感じます。逆なんですよね。すべてが。
その中で人間力を培う仕組みは理解していますが、なんとも皮肉なものだなと思いつつ、今こうして小説を書けていることがありがたいです。
もちろん私だって若い頃は苦労してきたので、今ある状態がただ与えられたものではないことを知っています。さまざまなものを犠牲にして、誰かが遊んでいるときも努力を続けたからこそ、今ここにいるわけです。
なればこそ、この時間を大いに楽しみ、同時に読者の人にも喜びと楽しみを提供できるように日々を懸命に生きるべきでしょうね。
若い頃は必死の意味が文字通りの意味だったので、身体を壊してもがんばったものですが、がんばるの意味合いがさらに深くなった中年期の今は、静かにそれを遂行していく感じですね。
とはいえ、熱いからこそ意味があるのです。
私の心の奥底にある熱は、まだまだ物足りないと言っています。
スレイブサーガもそうですし、十二英雄伝だってそうです。それ以外の作品も表に出る日を待ち望んでいます。
おそらくというか・・・ほぼ間違いなくすべてを出すことはできないでしょうが、死ぬ瞬間まで作り続けていきたいものです。
最終的には感謝しかない、というのは事実でしょうね。
感謝という言葉に弱気な感じがして(闘争心が前面に出ているときは)、それを否定したくなることもままありますが、最終的にはこれしかないんだと思います。
というのも、実際に死んだ(真面目に生きた)人間の大半がこれを思うからです。
どんなに不満に思っても、それは物質世界でのことでしかありません。むしろ、その不満こそが力になるので、高卒の子もいつかその不満が糧となって、大きなことをやる日が来るかもしれません。
不満がなければ改善への意欲もないので、それもまた完全なるシステムの一部ということなのでしょう。実際に地上にいる我々は不満ですけれど・・・
そんな感じです。
ではまた。
※クリエイター支援「Ci-en」
「十二英雄伝」 小説家になろう