人を知る作品は面白く、人を愛する作品は美しい
最近常々思うのが、作品とはいかに人を表現するかということ。すべての作品は、人をどれだけ表現できたかによって質が決まります。
今まで私が見てきた作品には四種類あります。
1、作品のレベルに達していない、見るに耐えないもの
2、物事の上辺しか捉えていない、形だけのもの
3、人をよく知り、面白いもの
4、人を愛し、美しく、価値があるもの
これは段階を示してもおり、1から4に向かって進化していきます。歌にしても詩にしても小説にしても漫画にしても、あらゆる創作物すべてに共通する要素です。もちろん建造物や陶芸にだって共通する要素です。1は論外、2はよく見かけ、3はたまに見かけます。そして4は実に稀少です。
面白い作品とは、人というものを観察し、人の面白さを描いたものです。感情、機知、矛盾、善悪、人をよく知っているので見ていて楽しいものがあります。
そして、4の人を愛した作品。3と似ているようで、ここには決定的な違いがあります。人をよく知れば面白い作品が作れますが、それだけでは最後の欲求を満たすことができません。それが人を愛する段階になると、その作品は勇気を与え、希望を与え、生きる力を与えるものになります。
4はなかなか見かけないものです。しかも案外、埋もれていることが多い。これは現在の社会が刺激を求めて3のほうを評価しているせいかもしれませんね。こういう人は海外のほうが評価されていることが多いです。それはそれで国内に見る目のある人が少ないという意味で残念なことですけど。
私は人間の愚かさが嫌いでしたが、ようやく愛することができるようになってきたと思います。未熟さを愛するのは思った以上に難しいことです。悪の中に善を見るように、未熟の中に愛を見い出すのは、やはり今でも非常に難しい。でも、嫌いということは愛する要素があります。言葉ではわかっていましたが、最近は少し感覚や実感としてわかってきた側面もあります。
ただ、無関心なものを愛することはやはりできません。それだけ魅力がないからです。むしろ嫌いだと思うくらいのエネルギーがあったほうが、愛する時に転用できます。それ自体がないとどうしようもないですね。
一番苦痛なのが2の作品に触れることでしょうか。形だけの作品を見るのは、正直一番つらいです。心がこもっておらず、配慮の足りない料理を食べている気分になります。これが一番味気ない。なので好きでも嫌いでもない無関心になります。
価値ある作品とは、人を愛した作品。それはその人が人を愛するからこそ生まれるもの。では、4の作品とはたとえば何か、という問いは無意味なもの。見る人が見ればすぐにわかるものであり、それもまたその人の段階によって差異が生まれるからです。それを知る段階に達すれば一目でわかる。それが答えでしょうか。
できれば私も4に属する作品をたくさん作っていきたいものです。