園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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批判されたら感謝しよう

批判や否定をされた時は相手に感謝するようにしましょう。


そうすると特に怖いこともなくなります。
なぜならば、相手はわざわざ自分の弱点を教えてくれたのです。
成長するうえで一番難しいのが、自分の欠点に気がつかないということです。
これを見つけるために私たちは日々努力しているといっても過言ではありません。
それを教えてくれたのです。課題が見えれば改善はたやすいです。


たとえば一人のサッカー選手がいてレギュラーになれないでいます。
自分では何が悪いのかわからないで日々悶々としていますが、
練習試合で出たとき、観戦客から「球際弱いんだよ。さっさと引っ込め!」
とヤジを言われたとします。
最初はムッとしますが、そこではっと気がつくわけです。
たしかに批判ではあるのですが、周りからは弱点がよく見えるもの。
批判されたことで弱点に気がつき、体幹トレーニングを重ねて球際に強くなれば

レギュラーになれるかもしれません。

いや、もっと上に行くこともできるかもしれません。

もちろん長所を伸ばすか短所を克服するかの選択はそれぞれですが、
批判や否定というのは案外正しいことが多いのです。


他人は自分の欠点がよく見えるもの


自分は他人の欠点がよく見えるもの


だからです。


ですので、周りからの否定的な言葉は非常にありがたいものとなります。
相手がどんなに尊敬できない酷い人間でも、
そういう人ほど悪いところを攻撃する能力には長けている場合が多いです。


もし誰かに批判されたら


なるほど、そこを改善すればいいのか


と、自己の成長に還元すればいいのです。
べつに無理に相手にお礼を言わなくてもいいです。
自分の中でありがとうと思えばとてもすっきりします。
そうして一つ弱点を克服するごとに私たちは完全なる存在、
神へと近づいていくことができます。


私もよく批判されたりします。
まあ、もともとあまり気にしないというか忙しくてすぐ忘れますが、
やっぱり批判の部分は正しいことが多いです。


うん、おっしゃる通り


といつも思っています。


ええ、反論する必要性がまったくないのです。
だって、正しいからw


そうなるともっと楽になります。
うん、正しい。おっしゃる通りだ。そう思います。
そうすると相手側も言うことがなくなるんですよね。


「あ・・・自覚はあるんだ」
「ええ、おっしゃる通りです。あなたは正しい。私も常々そう思っています」
「変えようとかは・・・しないんだ」
「変えたいんですけどねー、お金がなくて・・・あと〇〇万あればできそうなんですが」
「あ・・・うん。がんばってね」


で終わることが多い気はします。
いや、お金のところはけっして嫌味で言っているわけではなく、
単純にあれば解決できる問題ばかりなんです。


お金がある=時間ができる


なので・・・間違ってはいないんです。
ほとんどのことが
「金がない」→「生きるために金を稼がねばならない」→「やりたいことをやる時間が限られる」→「遅れる」→「申し訳ない!」の図でできています。


それ以外の面についても、私に関してはその通りだと思っています。
基本責任取りたくないので好き勝手生きていますし、
取るときは嫌々ですし、他人から援助してもらうのは当然くらいに思っていますし、
やることも遅いくせに色々と始めるし、投げっぱなし多いし、
・・・うーん、まずい。これ以上言うとまずい。全部正しいからまずいです。
自分のためにこれ以上は言わないでおきます。


つまるところ自己評価が高いと反論したくなる。
必要以上に自尊心と自意識が高いから防衛する。


わけなんですね。
謙虚で身の程を知っている人間は、何を言われても気にしません。
もともと自分がたいしたことないと知っているからです。

かといって、その人が社会の役に立っていないかといえば逆です。

こうした謙虚な人間ほど役に立っていることが多いのです。


単純に


井の中から出て、 大海を知っている蛙なのです。


神という無限の存在を知れば、人は謙虚にならざるを得ません。

さらに自分が関わる業界だって上には上が山ほどいるはずです。

仮に一億稼いだとしても、百億稼いだ人もいるわけですし、

全世界の経済を一人で回すことなんて不可能です。する必要もありません。

こうして考えていくと謙虚であることはとても自然です。


ですが、今の社会は比較と競争ばかりしていて

誰もが自分の価値を他人に認めさせないと生きていけないと思っています。

だから批判されるとすぐに自己防衛をしてしまうのです。

批判に対して反論するというのは愚かです。
どちらにとっても被害が大きくなります。
ついついそうしてしまうのは人の常かもしれませんが、
結局のところそうして自分を肥大化させてしまっているのが原因です。


たまたま昨日読んだ本に
プロに「上手い」と言っても喜ばない。という話がありました。
これはよく聞くやつですね。
大学生の時、友達も同じようなことを言っていました。
「プロなんだから上手くて当たり前。上手いって言うのは失礼だ」とか。


これも同じで、自分が特別だと勘違いしていたり、他人からの評価、ステータスを高めるのに夢中で誤った価値観を持っている場合、こうした現象が起こります。
もしあなたにこうした現象ができたら傲慢になっている証拠です。
近いうちに鼻っ柱折られるか、もっと最悪のタイミングで全部を失うことになるでしょう。
謙虚さを失ったら人間は終わりですから。



なぜ神は他人に迷惑をかける未熟な霊を許すのか。
当然愛する子供だからというのもありますが、
それによって善霊がさらに成長するからです。
それは、最初に言ったように自己の改善点を見つけるためなのです。


善を見つけるには悪が必要


そのように対比の中で成長していくわけですね。


私も野良肉を出した時、もっと好きな主人公が見たかったと言われました。
じゃあ、ハーレム殿下はできるだけ主人公目線で行こうと決めて
さらにパワーアップすることができました。
これは好意的なファンからのご意見でしたが、
仮にそれが印象の悪い意見でも、よくよく考えればその通りだと思うものばかりです。
ですので、批判の中には自分を成長させる種が必ず潜んでいます。


次はこうしよう
自分を高めさせてくれてありがとう


と思うと何も問題はなくなります。


意地の悪い人だと、これを知ったら悔しがるでしょう。
また粗探しをするかもしれませんが、結局またその人を鍛えることになります。
そして気がつくと、批判されていた人はもう批判できるものが少なくなり、いつの間にかもっと上の世界に行っている可能性が高いです。
社長になったり世間で認めらている人間になったりして、
もはやそうした人の批判の届かないところに行っています。
当然、そこではそこの世界の問題点に出くわすでしょうが、
そうしてまたどんどん成長していくのです。


批判には感謝しましょう。


これがポイントです。


また、反論せずにいることは慈善にもなります。

他人の間違いや悪に対しては大騒ぎせず、そっと流すのが善行なのです。

仮に反論して事が大きくなると、

相手は自己の愚かな行いが恥ずかしくなってさらに批判をします。

また、もっと低いレベルの人間の場合は、火事になったことを喜ぶだけのこと。


相手がミスをしたら見なかったように振舞う


相手の失言は聞かなかったことにして笑顔で話題を変える


こうしたことは間違いなく自己を高めますし、愛にもなりえます。

これとは別に、指導や更生のように指摘して伸ばすこともできます。

人は必ず成長します。かつて自分がしたことを反省する日が来るものです。

何にせよ傷口が残らないように配慮してあげるべきですし、

自分自身にとっては自己を制御する絶好の機会となるでしょう。


すべては善につながっています。

すべてに価値があります。


すべてを利益に変えてしまいましょう。



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