園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
http://puruttokikaku.com/

強い意志の力

私たちは何があっても人生を生き抜かねばなりません。
まさに何があっても、何が起こっても耐えねばなりません。
それはこの世界が試練と償いの境涯に属しているからです。
未熟な世界ではさまざまなことが起こりますし、
仮にカルマの清算ともなれば相当な激痛を伴います。
ですが、それらはすべて成長するために必要な要素なのです。

私たちの地上は、あくまでかりそめの世界なのです。

その後に待ち受ける霊的生活こそ真実の世界。

だからこそ、ここでの痛みはすべて経験になります。


その中で意志の強い人と弱い人がいるのも事実です。
昨日述べたようなことは意思が強くなければできません。
どんな犠牲を払ってでも成し遂げるという強い意念がなければ難しいでしょう。
これも人それぞれです。
私も非常に意志や意念が強い部類に入る人間です。
たとえば、何か起こった時、それがピンチであればあるほど覚悟が決められる強さ。
こうした強さは今まで他人と比較してきても強いと自覚しています。


こうした部類の意志の強さというのは、倫理とは関係ない要素のようです。
意志の強い人間に倫理観がなければ、その人はいわゆる悪人となるでしょう。
そしておそらく、その中でもかなり上位の存在になります。
ヤクザやマフィアの幹部とか組長とか、そうした存在になるでしょうね。
地獄に行っても大なり小なり親玉クラスになるのです。
こうしたことから意志の強さ、おそらく霊力の強さというのは
愛や倫理といった要素とはまた別の存在なのだと思われます。
一方、それが善に転じると、まさに天使のような存在となります。
強さと優しさと叡智を兼ね備えた存在になれるのです。
地上でいえば、偉人や聖人という存在になるでしょう。
当人が求めれば大きな資金を動かす存在にもなれます。


正直に言えば、こうした覚悟を持っている人間は少ないです。
少なくとも私の周りにはいないので、割合としては一割くらいなのでしょうか?
(完全なあてずっぽうですが)
これを見極める方法は非常に簡単。
先ほど言ったように絶体絶命とはいかないまでも、
何かトラブルがあったときに、その人の目を見ればよいのです。
だいたいの人は怯えた目をしますが、
意志を持った人の目は強烈な力を宿しているはずです。
ピンチの時ほど不屈の炎が燃え上がる。これがポイントです。


ただ、力とは正しく使わねば身を滅ぼします。
私が仮に悪人であったならば、自分でも怖いと思えるほど残忍になれるでしょう。
これは単純に「目的のためならば何を犠牲にしてもかまわない」と割り切れるからです。
当然、倫理や理性があるのでそうしたことはしませんが、
意志の強い人間はそのことが自分でもわかっているものです。
だから普段は争いを好まず調和を保とうとします。
それが神の法であるだけではなく、自分が本気になったら一瞬ですべてを破壊できることを知っているからです。
力は正しく使わねばなりません。
だからこそ神は資格ある者にしか行使を許さないのです。


でもまあ、昔の日本人、侍とか武士とか日本兵とかを観察していると
こうした部類の人も多かったのではないかとも思えるわけです。
その意味では日本も相当劣化したのかな・・・とは思いますね。
霊訓でも近代日本の霊的成績はかなり下がっているそうですし。
ソースはこちら。「新樹の通信」より。
(たぶん、これだったような・・・
 慣れるまでは読みにくいので一回しかまだ読んでおらず)

霊界通信 新樹の通信
霊界通信 新樹の通信
潮文社

よく言われるのが、倫理観が高くても霊格が低い人がいます。
それは善の存在なのだけれど無知で力が弱い人間のことです。
霊格とは総合値なので、叡智や霊力の強さも重要な要素になるわけです。
親切でもすぐ詐欺師に騙されたり、簡単に負けてしまうようでは話になりません。
強さが必要なのです。
もちろん、男女差はありまして、男のほうが叡智や力に優れているのは事実のようです。
それも最終的に統合されていきますが、まだ性というものが如実に表れている今は
その傾向もかなり強く出ることになるのでしょう。


何が言いたいかというと、常にスーパーポジティブであれ、ってことです。
腕がもげようが何かで大失敗しようが、私たちは生きるしかないんです。
無我夢中だろうが悟りを開こうが、この地上で果たすべき使命と必要な体験を積むしかないのです。
お涙頂戴が嫌いなのは、そんな暇があればさっさと行動しろ、という意味です。
もし現状が嫌ならば行動で変えねばなりません。
地上は行動によって示す世界だからです。


その気になれば何だってできるんです。
ただ、人は何かを得ると失うのが怖くなるものです。
だからこそ失う経験が必要なのです。
私もいくつか失って初めて価値のないものだと痛感したものです。
見栄も必要ない。実績なんてものも必要ない。金がないなら作ればいい。
泣き言言っている暇があったら動け、そういうことです。


すべては意思から始まります。
それが強さになって意志となり、すべてを変える力になるのです。
怒りや哀しみや痛みは、そのままではマイナスの要素ですが、
上手く扱えば進化と行動の原動力となるのです。
だからまだその段階の人は、痛みを嘆いてもかまいません。
苦しんでいても問題ありません。
そうした体験がなければ人は成長しないのです。


かといって、こうしたチャンスを見誤ってはいけません。
困っている人がいれば助けようとするのが当然のこと。
どんどん善行を積んでください。
ただし、その善行もまた段階によって見た目がかなり変わってきます。
仮に今の私に誰かが助けを求めてきても、それがたいしたことないなら無視します。
なぜならば、私にとっての使命と目的というものが明確に存在していますので、
まったくぶれることがないからです。
これも今まで色々な経験を積んだからこそできることです。
そうしたことに関わっていれば、より大きな仕事ができなくなるからです。


簡単にたとえれば


このブログを書いている時間を仕事に使えば、もっと進むんじゃね?


って感じです。
非常にわかりやすいたとえですね・・・胸が痛いです。


まあ、たしかに時間のロスですが、これを見て何かを考えるきっかけになってくれればということで・・・趣味ではありますが、これもある種の善行の一つだと思ってやっています。

私的日記なのでかなり赤裸々で乱暴に書いてはいますけれど、

本質の部分では嘘偽りなく書いているつもりです。


では、今日はこれにて!

あとはひたすら仕事に励みます!



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