園島義船、ぷるっと企画の活動日誌DX

ぷるっと企画の活動日誌。
漫画、イラスト、ゲーム、小説の情報を掲載。
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怒りの延焼

 なんとか部屋の大掃除も多少まとまってきました。今日はカーペットを買って敷いたので部屋の印象も変わって大満足です。


 と、本日の話題はそれではなく、最近自分の中で表面化してきたマイナスの側面について。


 前々から言っていることですが、私には大きな怒りという感情があります。もちろん、誰だって怒りは持っています。私以上に大きな怒りを持っている人間は計り知れず、それが制御できなければ実際のテロや事件に発展するわけです。


 が、最近は少しばかり過剰になってきておりまして、特に規律を乱すものを力付くで排除する、という傾向が強まっています。あるいは自分を束縛するものに対し、激しさで反抗するといったもの。当然、実際の行動に至る前に制御しますが、その衝動が激しいということです。抑えるのも一苦労です。


 これは十二英雄伝の悪い面が影響している可能性もあるのですが、十二英雄伝自体が私の持つ怒りで構成されていることも常々言っている通りですので、ここに解決すべき自己の問題点があるのですね。それを制御するために怒りを探求し、発散しているわけです。


 ただ、特に昨年あたりから悪い傾向が強まってきているので、「これはいかんな」と最近危惧しているわけです。幸か不幸か、十二英雄伝を書くときには怒りに満ち溢れて書けているので、RD事変に至っては描きやすいのですが、あくまで小説内にしておきたいところです。


 これにもいくつか原因がありまして、私はもともと規律を乱すものを嫌います。まあ、私のような相当なレベルの自由人が言うと驚愕に値する発言ですが、自由を主張するのはあくまで自分の中であって、誰かの権利を侵害しない、という強い信念があってこそですね。


 思えば、個人主義者というものは、相手の権利も同じくらい尊重するものでして、自由な人間ほど世間に迷惑をかけたがらないものです。そして、調和も重んじる。ただそこで、調和を乱すものに対しての怒りもあるわけです。


 これは私に限ったことではなく、人間は誰もが成長過程かつ未熟である以上、寛容さというものが必要なのですが、最近の社会は余裕を失っているせいか、たとえばすぐにギレるとか、怒り出すとか、あるいは何かに怒っているとか、そういった人が増えています。むしろ怒っていない人はいないのではないでしょうか? たぶん、誰かしら何かに怒っているはずです。


 ただ、怒りという感情はとても強い力です。陰湿さや恨みなど、他の悪い感情も恐ろしいですが、怒りというのは純粋性があるからこそ他のものより怖い感情にも思えます。特に怒りの感情はすぐに延焼します。まさに火ですね。紙や木材なら、あっという間に燃え広がります。拡大率という意味では非常に強い影響力を持っているわけです。


 だからこそ怒りは制御しないといけません。この力は強いからです。たとえば、恨みという感情は受けた当人や仲の良い人にしか伝染しませんが、怒りはすぐに伝染します。たとえば、北朝鮮で捕らえられたアメリカ人の青年が死亡しましたが、それに対して今まで興味がなかったアメリカ人でさえ、暴挙に怒りを感じる人は多いでしょう。こうして他の感情よりも率先して伝染するのが怒りなのです。


 怒りは恐ろしい力です。しかし逆に、これだけの怒りがあるということは、私に限っていってしまえば、それだけエネルギーが回復してきた証拠なのでしょう。これを再び制御できるようになれば、もっともっと大きなことができるはずです。


 私も今は力が溢れているのを感じています。怒りで力を消耗しなければ、これを作品にあてることができるはずです。もっともっと効率よく力を伝達できるようになるはずです。ですので、困った反面、そうしたピンチはチャンスにもなるのです。


 すべてのマイナスの現象には、必ず成長の種が潜んでいる。まさにそのことです。


 と、話がまた脱線しそうなので、このあたりで終わっておきます。ちょっとまた瞑想や修行を通じて怒りを使いこなせるように特訓してみます。といっても、人生をかけて臨むものなので、何十年かかるかわかりませんが・・・、この人生の間に制御できるようになればたいしたものです。


 やはりこの人生は、自分との闘い、それに尽きます。


 不思議なことに、知り合った誰もが私のことを修行僧みたいだ、と言います。そんなつもりはないのですが、考えてみれば常に自分と闘っている姿がそう見えるのでしょう。


 ではまた。







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